SF短編集のはなし

「文庫のSF短編集は全部買う、出たら買う、とにかく買う」という誓いを立てることはや数年。最近、いったん誓いの再検討が必要になるくらい花盛りである。
 
とりあえず星雲賞傑作選[amazon:てのひらの宇宙]は買った。読んだ。面白かった。みんな買うべき。「山の上の交響楽」がすごくよかった。こういうのいいよね。こういうのたくさん読みたい。
   
早川文庫のSF作家クラブ創立50周年記念アンソロジー河出文庫のNOVA9巻目はいったんペンディング。なるべく毎月、本の購入冊数を一定にしたいので、いいのが何冊かまとめて出たら購入は次の月に回したりして平準化を図るのだが、そうやって調子に乗ってるとすぐなくなるものもあるのでバランスが難しい。もちろん、どこぞに在庫はあるんだろうが、書店の店頭になかなか残存しない傾向。
書店になくともamazonにあるではないか、と思われるかもしれませんが、自分はなるべく本は本屋で買いたいのです。というか、本屋にふと立ち寄ったときに、そうそうこれ買わなくちゃ、と思って欲しい本を手に取るという一連の過程を楽しみたい。立ち寄ったものの買うものなくて出る、とか、さしてほしくないものを無理矢理ひねり出して買う、とかじゃなくて、ね。
まあそれはさておき、他にもいろいろ面白い本が出ていて、文庫新刊棚を見て回るのがここ数ヶ月、とても楽しい。うれしいことだ。
  
しかしそれにしても大森望
何を買っても大森望。なんて素敵な大森望。ひところは、SF翻訳する人、珍しい読むべきSFを教えてくれる人、そして大いに地雷を踏ませてくれる人という印象の大森望氏だったわけですが、近頃、自分の本棚に「大森望 編」の文庫本たちがあふれかえることといったら。自分が財布を開いて取り出すささやかな金額のうち、いくらが大森望本人に入るのかなあ。たくさん入るといいけど、たいして入らないんだろうな。大森望とか中村融の編は、それ自体が宣伝効果がある(と思う)ので、この人たちは編者としての代価だけでなく、看板代もとればいいと思う。いやそもそも商業出版の編者になれるということはそういうことなのかな。
   
ミステリ推薦者としての大森望はおそろしいが、SFアンソロジストとしての大森望は信頼してあまりある−−と思ったが、よく考えれば最近、あまり大森望に地雷を踏まされていないことに気付いた。なにしろ自分が国産ミステリの新しい書き手についていけていないので、大森望がいまでも地雷を量産しているのどうかよく知らないのだ。わはは。
「新しい書き手のミステリを読む」というのも、音楽といっしょで、青春の営為なのかもしれない。
  
なおこの項、ずっと大森望氏を敬称略ですが、「あのハインラインって感じ」で、歴史上の人物的扱いというか、敬称をつけるほうがおこがましいというスタンスと理解ください。