お返しトラックバック

個人的にはお返しトラックバックというのはうっとうしいと思っている。もしあるサイトを読んでいて思わず興奮して、昂揚した気分でトラックバックを踏んでそこで「おかえしー」とかを発見したら、憤死するかもしれない。なんて実際にはするわけないけど、「トラックバックを」「お返しする」という感覚が気持ち悪い。
2chで何かを言う人は、というエントリ(())を書いたのと同根の感情だが、日本的あいまいうやむや空気嫁べしょべしょ人間関係がわりに苦手で、僕たち私たちのインターネッツは次世代のコミュニケーション!、ドライで愉快!と期待していたのに、やはりネットには現実と同様の価値体系がはびこるのかーと思うと憂鬱になる。まあネットが異世界ではなくて現実世界の派生だというのはその他のことがらからも明らかになってきているのでしかたのないことだとは思うけど、現実よりも柔軟性に富んでいていいはずじゃないのか。お返ししない人間に対する寛容性は、現実よりも高くあるべきだよね。でもネット上でもなんらかのコミュニティに絡め取られると、そうもいかないようなのが見ていてつらい(ジャニーズ系もめてるブログとかさ)。
しかし「人はなぜお返しトラックバックをするのか」に対する答えはやっぱり、「そこにトラックバック表示欄があるから」ではないだろうか。TB欄があるのにTBがないとなんだか寂しい気持ちがする−−と欠落を感じる人が他人に対しての善意として実のないTBを送ってしまうのではないかと思った。まさに形骸化したコミュニケーション。そこに表示される内容よりもTB欄に何かあるという状態が大切な感覚は、中身はともかく箱の数が重要という引き出物選びとよく似ている。なんでもとにかく“かさ”が重要っていうおばちゃん、よくいるよね。
実のないTBは削除すればいいだけのことだ。でも削除には結構勇気がいる。積極的な意思表示だからだと思う。角を立てずにお返しトラックバックを排除しようとすると、TB表示欄をクローズするということになったりしちゃったりするかもしれなくて、なんかそうなるとTBとかコメント欄というのが日本で目新しいアイディアだったといのはあいまい文化圏だからなのかなあと思った。とかく行為に対する論評と、人格に対する論評を混同して逆上する輩の多いわが国ならではのことのように思えるな。
なんてちゃんと調べてないのに「わが国ならでは」とかいうと背筋が気持ち悪くなるんだけれど、こういうネタはやっぱりこうしめないと座りが悪いなあとか思ったり。

ネムキ 7月号

天使症のやつがものすごく力抜けする展開をとげてがっくりくる。次号最終回だが、ちょっとはしょりすぎじゃないか?まあ次号を待つか。百鬼夜行抄は八重子ちゃんネタ。八重子ちゃんはいいね。ただこの時制だと尾白と尾黒が出てこなくて残念。大二郎グリムはわかりやすいお話。よく読むと深いのかもしれないけど、前回のような読んだ端からわからないということはない。今月号ではしましまエブリディがいつも以上に大変にかわいらしかった。猫はいいな。

あの山越えて 6

夢路行あの山越えて 6 (秋田レディースコミックスセレクション)
もう6巻か。感無量。まりなちゃん進路話に複雑な気持ちがする。高校にはいっといたほうがいいと思うけどなあ。個人的に不耕起栽培に大変興味があるので、その先がどうなるかを活写していただきたい。しかしそう考えると、夢路さんはかなり取材されているのだろうか。若い農業好きのつぼを押さえているように思うのだが。

ひばり、みそさざい

モース警部シリーズの一冊を再読していたら、上司の電話をベッドで受けたモース警部が、寝間着のままなのをごまかすために「なにをおっしゃいますやら、私はヒバリと共に起き、ミソサザイと共に寝るんですよ」と取り繕っていた。
ヒバリは早起きでミソサザイは遅寝なのだろう。確かめてないけれど(確かめる気も実はあまりないのだけれど)。日の出と共に〜というよりはかなりいい雰囲気だと思ったので、今後何かの際はこれでいこうと思った。