「うへぇ」言論の時代

自意識をストレートに表現することにひいてしまうのは古い世代の価値観なのか。自分の言説をこれはすごい!とアピールする言論人を見ると、なんかちょっと気持ち悪いと思ってしまう。もちろん、すごいことだという確信は必要だと思うが、それを臆面もなく世間にアッピールするというのがなあ。そういう言論を見ると、その自意識のありように「うへぇ」と首をすくめてしまうのだが、最近とみにこの手合いの熱い言論を目にすることが多く、自分が時代遅れなだけなのだろうなと思いつつある。
冷めた姿勢がかっこいいと思っているわけではなくて、熱いパッションが言論には必要だと思っているし、また自画自賛できないような自信のない物はだすんじゃないよと思っているが、熱いものを熱いまま表現したりそれを自分で絶賛したりする姿勢が「うへぇ」なのだ。臆面のなさというか芸のなさというか。レトリックで人を惑わせつつよく読むとものすごい嫌み、というような論争を好む自分には、アメリカ西海岸の青空の下サーファーに打ち込む高校生のようなさわやかさをたたえる言論言説にはまぶしすぎる限りだ。屈折がないとね。