知的財産立国ねえ

http://www.m-sugaya.com/blog/
漫画原稿を守る会」顛末記を連載のすがやみつるblogだが、騒動よりもマンガ原稿の位置づけの話が興味深い。考えてみると、マンガは特殊な媒体だ。大量に複製されることを前提とした絵。漫画原稿に財産権があること、しかし製版フィルムがあると複製(再出版)できるので紛失に対して財産的損害が認められないこと、一方で美術品的価値も認められること、などなど。
しかし考えてみると、小説原稿などは文字の配列であるデータが大切なのであって、原稿そのものは美術品というか骨董品的価値があるだけで、複製のもととなる版としての価値は、今ではないんじゃなかろうか。古本屋で額に入れて生原稿を飾ってあるのをみるが、あれは美術品としての扱いのようだ。
技術が進歩することによっても、原稿の価値は変動するように思う。元の原稿から活字をひとつずつ拾っていた時代には、小説原稿も版として重要だったんだろうか。マンガ原稿については、フィルム製版とかスキャニングとかその辺の進歩で版としての価値が短期間に激変しているように読める。
すがやblogは当然というか、貸与権推進の立場。しかし貸与権自身には洋盤*1輸入権と同様、娯楽として消費する消費者に制約的なものになりうるという。http://d.hatena.ne.jp/solar/20040518参照。
法律や権利については不勉強につき今のところ言うべきこともない。しかし一方で値段を言わずに発注をする編集者、絶版といいながら製版フィルムは保持している出版社、原稿がどれくらいの範囲の財産権を持つのかもあやふやな現状、など商取引として信じられないようなことが内部でまかり通る業界が、対世間で知財ビジネス強化に動いているって、ものすごく奇妙だ。
出版社がコンテンツ生成者からもコンテンツ消費者もから等しく搾取しているのかい、と思ってしまう。クリエイターへの敬意なしに知財ビジネスなんてできないと思うんだけど。買い手市場ってことなのかねえ。

*1:正確なことばではないのはわかっているが、実感的にはやはり洋盤といいたい