長崎のアレ

なんか盛り上がってるので野次馬気分で。
いずみのさんのところでコメント欄が長くなっているよ(via 地雷犬日記):http://d.hatena.ne.jp/izumino/20040616
上記コメント欄中の、くまはちさんのところはここ:(ご指摘を受けて削除しました。)
コメント欄が長くなるのは望月さんの仕様がうつったのでしょうか。
バトロワ」も「プリキュア」も見ていないうろうろですが(ハラさんの真似)、自分は地雷犬さんがひっかかっているところにはあまりひっかからなかったですが*1、いずみのさんの『*1:あと「何も見せない、与えない」っていうのは実際正しい教育法だと思う』これにはちょっとひっかかった。先人の振る舞いを知り、そこから学ぶことはあるはずだとおもう。たぶん彼我の違いは、理想主義に立つか現実主義に立つかというところにあるんでしょう。冒頭に、被爆教育がホラー効果を生みだしてるのでは?という村崎百郎の妄想をひいておられますが、自分はもしそのような効果が出たとすれば、反戦反核教育を被爆写真を見たという衝撃レベルでとどめてしまっている教育の無策を嘆くべきであると思います。ただ“現実的には”、実際に心の底にまで届くようなうまい教育を提供することは困難だろうと考えられるので、それくらいだったら見せない方がいいんじゃないの、という立場が出てくることはしかたないでしょう。けれども、前にもなにかで言ったけれど、ここは現実に落ち着く(迎合する)べきではなく理想でつっぱねることを基本に落としどころをさぐるべきだと自分は思います。現実/理想のどちらを重視するかの分岐点は人によって異なるし、それは言い換えればコスト/ベネフィットの分岐点をどこにおくかでもあるので緒論あってしかるべきです。その中で議論を通して実際にどの程度見せてどの程度見せないかというコンセンサスができあがってくるのではないかと思います。
地雷犬さんといずみのさんの議論と一部シンクロするかと思って、少々長めに書いてみました。傍目で見るに、お二人の議論は結局合流しないだろう(どこに分岐点を設けるかの判断が違うから)と思いますけれど、議論を通じて異なるパースペクティブが明らかになっていっているので、かなり実り多いと自分は思います。やってるほうはめんどくさいかもしれませんけどね。

*1:正確に言えば、「君の意見には賛成できないが、君が意見を言う権利は全力で守る」的な観点から、あんまり筋の良くない文章だなあとは思ったけれど、ネタふりだしあえていうほどのことでもないか、と思いました