右翼がえらいのか左翼が情けないのか

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040623#cより
町山智浩さんが自身のダイヤリのコメント欄にて、

ネットは最初、市民運動的なメディアかと思われたんですが、
実際は右翼のほうに親和性があったんですね。

といっておられるが、これをみて思い出したのが右翼ってまめだよね、という話。どこで読んだのか忘れたが、まあなにしろ右翼というか保守反動の人々はものすごくこまめに掲示板とか書き込んでるようだ。左翼はそういうこまめなオルグをしなくなってしまいましたね。普通に考えれば左翼になるだろお前ら、って感じ。で受動的な気がする。あと強制することをしないというか。ナイーブなんだよね。あと、雨宮処凛がどっかのインタビューで言ってたけど、彼女は不安定なナイーブゴスロリとか不登校とか少女で、そういう政治っぽいことをやろうと思ったときに右翼と左翼の双方の集会にいったらしいんだけど、目を見てこの国を変えよう、とびしりと訴えかける右翼集会はじーんとしたけれど、左翼集会は目も合わせずおどおどとした人々が小難しいことをごちゃごちゃ言ってる会だったので右翼の方がいいなあと思ったらしい。うろ覚えなので大意ですが。それでそのあと北朝鮮に行ったら全体主義が気持ちよかった、とも言ってたように思う。
何が言いたいかというと、ネットって脊髄反射に適したメディアだから、君自身の頭で考えようとかいう軸よりも、みんなに同調してそうだそうだと言ってることの気持ちよさ、みたいなのが結構大きく効いてるんじゃないか、という話と、日本の左翼は草の根左翼じゃなくてインテリってことになっちゃったからだめなんだよな、という話。小難しいこと言うな!というバカとつきあう気になれないのはまったくご同様なんだけど、そういう考えたくない病の人を巻き込んでいくための、身体的アプローチというのが左翼にはかけてるのかもしんない。結局日本において左翼が流行った時期というのはキャンプだったり歌声集会だったり合同ハイキングだったり、サークル活動の側面が大きかったんじゃないかと思うんだけど。
とこういう風に、すぐメタ視点に立って話を対象化してしまうのは悪い癖なんだけど、これって時代のものなんですかね?ネタとかメタとかベタとかいうことなんでしょうか? 個人的には時代と言うよりパーソナリティーの問題だと思うんだけど。