文字

久しぶりに新聞を、それも朝日新聞を読んだ週末におどろいた記事。webにあったのでリンクしてみる。
http://book.asahi.com/review/index.php?info=d&no=6297

 慶応義塾大教授の佐藤雅彦(さとうまさひこ)さんが小説を書いた。
これまで独創的な表現者としてCMやヒット曲、映画やゲームソフト、
幼児教育番組や出版物など様々な話題作を発表してきたが、小説は今回が初めて。
(後略)

単なる本の紹介、と読み進めて驚いた。佐藤雅彦さんは失読症だったのですか。「ピタゴラスイッチ」をビデオを撮って見る自分ですが、それは知らなかった。

 だが佐藤さんは方法論の人。「書けない読めないということであれば、ぼくにできるのは音」と、
まず話を口で物語り、次にその音声を指でパソコンのキーボードに伝えることで小説を書き上げたという。

失読症についてあまりよく知らない。だけどこの一節は胸を打つ。つよさがうらやましい。
ここから関係のない話をする。自分は時折、目が見えなくなったらどうしようと考えて恐怖に陥る。ほとんどの娯楽と仕事の多くが字を読み字を書くことからなっている現状では、目が見えなくなったら発狂するのではないかと思って恐ろしくなる。いや本当に恐ろしいのは目が見えなくなり発狂もできない状況だ。ジェフリー・ディーヴァーの「青い虚空」のなかに、失明を恐れて強度の高いメガネを特注するパソコンオタクの少年が出てくるが、これほどよくできた造形もない、と思った。字を読まないことを娯楽に持ちたい、となかば強迫的に思っているが、相変わらず本・雑誌・ネット・新聞・広告etcと文字の楽しみが生活の大部分を占めている。梅棹忠夫「夜はまだ明けぬか」は文芸として非常に素晴らしい作品だが、素晴らしさを味わうより恐ろしくてたまらなかった。
梅棹先生はしかし未だに活躍されているし、多くの中途失明の方がハンディを乗り越えて、あるいはものともしないで豊かな人生を送っておられるだろうことは理解できる。したがって以上のようなおそれは、不謹慎で失礼なものと読めるかもしれない。もしそう読まれたなら不徳のいたすところだが、このおそれは社会的生活におけるものではなくて、一存在としての自分の肉体宇宙でのおそれなのだ。文字があれば、山奥でも孤独でも生きていける。世界が自分一人を残して滅んでも生きていける。けれど文字を失ったらどうすればいいのだろう。
目を大切にしよう。そしてできることなら文字ではない楽しみを見つけよう。帰りにマジックアイでも買うかな。