最近の関西ローカルお笑い番組をエアチェックしている僕ら

毎日毎日、とかいっても大してチェックしてないんスよね。ここ1−2週間では、M-1リターンズダイナマイト関西・空想深夜番組ドエンジェルくらいでしょうか。マジ録画。
感想といいますと、ドエンジェルがとにかくどうしようもなかった。お笑いにアートを求める感性は、自分とはだいぶちがう。ラーメンズが近年の代表ですが、お笑いの感性をアートの文脈で解しようとする人々は確かに一定数居ます。それの良し悪しもあるでしょう。しかし。しかし一ファンとして、笑い飯にそれは求めてないと言いますか。しょうもなさを正しく見積もって欲しいといいますか。あのねー、マニアとして結構こうるさいこといいますけど、アートっぽさとか芸術的イケテルっぽさなんて全然望んでないんですよ、笑い飯に。むしろしょーもなさ。それ。それがいけてるんです。作家の人とかプロダクションの人とかがどれほどゲージュツ路線で行くかは勝手ですけど、僕たち私たちの笑い飯をそこに巻き込んで欲しくないなあという気がします。その辺、どうなんですかね。ファンの受けより、もっと別のモノが重要なんですかね。いやー、これはかなりぶちぶち言うよ!オラは!
ここ数日のエアチェック中ではダイナマイト関西が死ぬほど面白かったです。でもさー、D関がオモシロイのなんて規定路線なんだよね。むしろ、テレビ番組で面白いのを期待したいんですよ。ですよですよ。D関が面白いなんて、テレビ番組構成的には負けじゃないですか。そのへんどうなんよ。怒るでマジで。テレビならテレビの面白さを見せろよ。なんつーかね、テレビ番組にそりゃなんの投資もしていないただの視聴者ですけどね、番組表を眺めてここ数週間ドキドキしていた僕らの気持ちはどこへ行くのかと言いたくなりますよね。D関が面白いって言うのはイベントとしての面白さに、実況系番組がのっかってるだけなんですよ。そうではなくて、テレビならではの面白さを追求して欲しいなっていうのはわがままなんかねえ。それはともあれ、D関でのT.K.O.木下の面白さに、同時代人としてノックアウトされました。やっぱT.K.Oは天才だよねー。のイズはどこいったわけー?古き良き1990年代。