コンテンツとコミュニケーション

今突然気がついたが、
http://d.hatena.ne.jp/urouro360/20050424#ci
↑のサククラネタのときに書いた、「○○サークルやってるのに、○○をやりたい人じゃなくて○○をきっかけに人間関係やりたい人ばかりが寄ってきてうざかった」というサークル思い出話は、今流行の「コンテンツかコミュニケーションか、というよりコミュニケーションがコンテンツか」話題そのまんまじゃないか!これはびっくり。
繰り返すけれど、○○サークルをやってたときに、○○をきっかけにコミュニケーションやりたい人たちには心底うんざりしていた。そういう人はテニスサークルへ行け、と思っていた。○○に入るのはテニスよりもっとずっと同好の士が少ない趣味だ。だからこそ○○を大切にしたかったのに、人間関係やりたいやつらが○○中心の運営にことごとく反発して、死ぬほどうざかった。たとえば新歓時期、自分は何度も何度も「ただ人数を増やす新歓では意味がない、ある程度体験してもらって、○○もいいものだと思う人を集めよう」と主張して、「とにかく人数を増やすことが大事。そのためにはイベントとか盛り上がること中心に!」という勢力といっつも対立していた。そうやって入ったやつは○○が活発になってくるとやめるんだって。やめない場合は、○○がさして好きではない部員になって同じ対立が繰り返される。あーほんとうざかったなー。向こうは向こうでそう思ってただろうけどな!
そういう経験からするとですね、何事も場をわきまえるのが大切ですよ。コミュニケーションやりたい人はそれなりのところで!
はて、ここで問題になるのははてなが「それなりのところ」かどうかということなんだが。
修辞的には↑で終わったほうがかっこいいとおもうけど蛇足をつけると、自分ははてなの華はキーワードを介した消極的コミュニケーションにあると思う。同好の士を探しやすいとかつながりやすいとかね。でも馴れ合いには使いにくいから、出会い系みたいな積極的コミュニケーションには向いてないだろう
。そんではてなでのコンテンツっていうのは第一にはキーワードのことなんだけど、第二にはキーワードリンクで飛べるダイアリの記述だと思う。なので自分はできるだけ固有名詞キーワードでしょうもないことを書かないように気をつけている。たとえば書名を辿っていって「購入本一覧」しかなかったときってがっくりくるじゃん!いや、購入本ならまだいいけど、「購入予定」とかだとほんとにがっくりくる。とはいえそのようなリストからも書き手の人となりを想像することは可能なので、それはコンテンツでないとは言えないのだけれども。だからまあキーワードリンクされることを意識して文章を書くのははてなコミュニティへの貢献ですよ、たぶん。