ネットとアウトローと人気者

電車男サギのエントリがベルトーチカにとりあげられている。
http://www14.big.or.jp/~onmars/index.cgi?date=2005.08.02
それはもうものすごいアクセス数になってるし、もちろん自分としてもおおーと思うくらいうれしいというかなんというかなんだけど、しかしあれですな、うちのエントリははてなさんだから拾われやすさを割り引いて考えるとしても、立ち読み記事にこんだけいろんな人がリンクしてくれるところをみると、「劇画マッドマックス」ってあんまし読まれてないのかなあと少し思いました。読まれてないというか、ネットに感想あげるよな人にフォローされてないと言うか。demiさんの解読は、劇画マッドマックスを読んでほんとにやっちゃいそーになった人は参考にした方がいいとおもうんだけど、このぶんじゃ読者層とネットこの界隈遊び層はかぶってないのかな。
最近、ナックルスとかマッドマックスの記事を読んでいると、オタvsサブカルとは別の軸として、これまでオタvsヤンキーっていう軸があったと思うんだけど見えにくくなってるなと思うことがある。マッドマックスはどっちかっていうと、アウトローとかヤクザとかそういう系統の雑誌なので、この手の雑誌に「電車男」がとりあげられるのか、と思ったのも正直な感想。しかし暴走族系webサイトなんて数年前から話題になっているし、2chアウトロー板というところは明らかにそれ系の書き込みがあるし、「ネットを使っている=オタク」みたいな認識はもう通用しないのだなと思う。
それは結局、技術の浸透によりネットスフィアがいろいろな人がいる普通の世界になってきていると言うことだ。でも自分はだからといってネットの輝きみたいなのが失せるとは思っていない。というのも現在のところ、ネット上のコミュニケーションというのは文字ベース(あるいは視覚ベース)になっていて、現実世界とは扱える情報量が違う。オタクだろうがヤンキーだろうが、文字ベースの表現が面白いヤツが勝者。これは現実世界とは異なる判断基準で動く世界ということであり、やっぱり違う世界なんですよ。重力が違うみたいな。
で、数日前にkanoseさんがネットとリアルがちかくなってきていて、ネットに楽園を求めた人が息苦しく思ってるみたいなことを書いているわけだが、
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050730/popularperson
以上のような理解から自分としては少し留保をつけたい気持ちがする。ネットとリアルをつないでしまうタイプの娯楽(SNSとかリアル知り合いブログを集めたアンテナとか)はそうかもしれないけど、リアルの判断基準とネットの判断基準はちがうと思うので、ネットでもリアルでも阻害される人というのは重力が1でも10でもだめだったということなんじゃないかと。でももしかしたら今後、重力が3の世界ができて、そこでだと活躍できるかもしれない、と自分は思う。そういう判断基準の多様性が明らかになっただけでもネットスフィアは面白いと思うのだが。
ま、でも、そんなことネットを絡めて言う必要全然なくって、会社ではダメ人間だけど趣味のサークルでは全国でも有名な存在、みたいなことって今までだってあったじゃないですか。同時に、会社でも趣味サーでもダメ人間な人は今までだっていたでしょう、たぶん。たとえ両方でダメだったとしても、画一的な基準に従う社会だけに属するのではなく、多様な基準がある社会に帰属していると気がラク、と自分などは思うわけです。基準を相対化できるからラクということなんですけど。そういう社会の、さらに社会システムそのものが違うバージョンがネットだと思うので、ネット独自の問題ではないと思うんですよね。会社の人を趣味のサークルに誘ってしまって、結局息抜きにならなかった、みたいな話と本質的には違わないのではないかと思います。
アンテナ登録数とかで友達の数が可視化するのは問題かもしれないけど、そこに友達数を見てしまうヤツはその前はプリクラを数えていたし、さらにその前はサイン帳の数を数えていたんじゃないかなと思います。