尼崎は「郊外」じゃない

http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050925/nana
http://d.hatena.ne.jp/strange/20050925#p3
尼崎を「郊外都市」って行っちゃうのは関西(特に兵庫県南東部)感覚からは違うんだけどな、と思ってはいたのだがうまく言語化できずひっかかっていた。しかし人々のコメントを見るとだんだん整理されてきたので、遅まきながらのっかりコメント。まあ市立高校サッカー部の部員が集団で万引してショーバイするような土地です、という強烈なニュースが流れているこの数日なわけだけれども。
もちろんどこをして「尼崎」と呼ぶか、という問題はあるが、一般的には尼崎はベッドタウンではない。下町の工業地帯。海側は埋め立て地で工場工場、繁華街はこのご時世に大衆演劇の芝居小屋があるような泥臭い下町。街としての歴史は古いけれども、今は煤けてる、そんな街だ。JR脱線事故の時、周囲の町工場の人たちが自発的に救助活動にあたったというニュースがあったが、あれこそ尼らしいエピソードだ。まず町工場という存在。次に、確かに阪神大震災被災経験という前提はあるにしても、下町の助け合いっぽさが濃厚に表出した救出活動。「尼らしさ」を感じたニュースだった。
だから少なくとも奈々の「郊外」感、つまり平凡で平和なベッドタウン、みたいなイメージではない。それは、細かい話ですが、大阪より西では阪急沿線の千里とか豊中とかそういうとこかなって思う。今ちょっと思い出せないけど、奈々って団地じゃなかったっけ?団地ではないかもしれないけど、拓かれた新興住宅地ってイメージが強い。
ナナの「郊外」にとってはどうかというと、海のそば・生活の荒れ・成り上がりというモチーフはちょっと尼っぽい。場末の街での小さな成功を振り捨てて都会ででっかい成功をつかむぜ、というイメージは、尼からそれほど離れてない気もする。でもたぶん尼崎であんな簡単にアクセスできる砂浜の海岸ないし、昔の暮らしを思って海を眺めて茫漠とするというスタイルは尼じゃないな。あんな村上春樹っぽい行動は、もうちょっと西側(西宮〜東灘)のカルチャーだと思う。
一般に、京都大阪神戸人は「上京」しない。それは簡単な話で、都会だからだ。就職機会あるし、文化イベントあるし、店もいっぱいあるから上京する必要があまりない。ないのはディズニーランドくらいかな。自分も所用で東京に行くことはあるが、新宿とか渋谷とかは全然大阪神戸と変わらないなーといつも思う。この点で、高校卒業時は大抵の人が地元からいなくなる、というタイプの「郊外」とは大きく異なる。
しかし、そうであるからこそ京都大阪神戸人の「上京」は面白いとも思う。特になんにも考えなかったら、箱根の関を越える必要がないような土地で、あえて東京を目指す若者の焦燥感。この辺の感覚はナナの「上京」と近いのかも。そしてNANAの登場人物達は、大半がナナの街からやってくるわけだから。一定のマーケットがあってそれなりに成功は得られるけれど本気でやるなら東京行かなきゃ、という感覚は関西でバンドやってる人にはあるかもしれない。自分のイメージではウルフルズだな。あと中島らもや獄本野ばらが書いていたと思うのだけれど、文筆方面も結局東京行かないとやってけないという側面があるらしい。そういえば郊外物語の傑作と名高い「下妻物語」作者の野ばらちゃんも関西人か。あと中島らもは宝塚だから、兵庫県南東部グループ。
あと地元から人が散らばらない世界だからこその「上京」っていうのがある。下手すると親同士が同級生だったりするくらいに人が滞留する環境から脱出には「上京」するくらいしかない、みたいな。このあたりはさっきも行ったけど村上春樹ですね(春樹は尼崎と神戸の間くらいの出身)。実際に大学進学等で上京するとなると、よっぽどのことでないと、極端な話、東大あるいは早稲田慶応くらいのバリューがないと、どうしてわざわざ東京の大学行くの?みたいな目線にはさらされるのはたしか。このあたりの「わざわざ行くの?」って感覚については村上朝日堂のエッセイにあったように思うけれども正確には思い出せないなあ。
というわけで話が拡散したけれども、「NANA」に描かれる郊外っぽさっていろいろありそうということと、関西人にとっての「上京」は大都市圏からの上京という色合いが濃く単なる地方−中央関係からははみだすかもしれないということを指摘して終わりにしたい。
おー、朝から長文だなー。遅刻遅刻。