エビちゃんは反動保守

エビちゃんは男性に人気あったり、なかったして大変だ - ARTIFACT@ハテナ系
エビちゃんは結局男性に人気があるのかないのかというのは深遠な問題ですが、とりあえずエビちゃんは「モテ」のアイコンです。女性誌で愛され系とかモテファッションのアイコンとして表れるのがエビちゃんなわけで。
しかしながら。
女性誌エビちゃんのファッションを見て実際に購入するのは女性です。したがって、モテのアイコンといっても100%男性視点ではありません。女性が見て「これって男子にモテそう」と納得できる範囲に収まっていないといけないわけです。
このような実態と認識の乖離の発生をルアー現象とよびます(ワタクシが勝手に)。これは、釣具のルアーが、実際に魚を釣る前に釣具屋で釣り人を釣らなくてはいけないことから生まれた言葉です。そのため、とんでもなくアバンギャルドなルアーはぱっとせず、経験的に“釣れそう”と認識されるルアーが公約数的に増加します。しかしそれは本当に魚を寄せるか寄せないかとは直接関係ないのです。“釣れそう”という認識を釣り人に抱かせるルアー、それが商業的に成功しやすいルアーです。
ゆえにエビちゃんが体現するビジョンも、本当に男子に受けるかどうかは直接的にはどうでもいいことなのです。女子は、「男子にモテそう」という女子像をエビちゃんに幻視し、それを求めてまねっこするのです。そこにはもしかすると、リアル男子の存在は必要ない場合すらあるかもしれません。
そんでは女子が幻視しているモテはどこから来ているのでしょう。それは大きな物語としてのモテ、すなわち機会均等法以前の女子ビジネスモデルのモテなのです。「愛される」という受け身表現にそれが表れています。かつて、愛は男子から女子へと一方的に与えられるものでした。女子の幸せは愛されること、そんな時代が女性の地位向上、社会解放に伴って移り変わり、愛は属性的に与えたり与えられたりするものではなくなりました。つまり、エビちゃんとは先祖帰り、保守反動のアイコンなのです。もともと女性文化圏に「愛され系」的発想はキャリア志向の隆盛の一方で生き残っていたわけですが、それがエビちゃんというアイコンの登場により一気に世間の目に触れるところへブレイクしたのでしょう。ゴーマニズム宣言みたいなもんです。
というわけでエビちゃんはモテアイコンであるが故に、既存のモテ、すなわち男性に受ける女性像をなぞり書きしてしまい、結果として反動保守アイコンとして機能しています。モテとは所詮、いつの時代も反動保守です。前衛がモテた試しがありません。しかも、エビちゃん的モテは格差社会アイテムでもあるわけです。いうまでもなく、現代の情勢下で女性に一方的に愛を与えられる男性は高所得者です。カムバック甲斐性。エビちゃん的モテが狙い撃つのは甲斐性のある男性なのです。モテ帝国主義です。エビちゃんは蒼ざめた馬に乗り、新世代を覆し、旧世代の退廃をふたたび世に満たすために現れたアイコンなのです。われわれはエビちゃん的モテ幻想の跋扈を断固として阻まなくてはなりません。
いかん、なにを言ってるのかわからなくなってきた。