秋葉原通り魔事件は携帯でネットワーキングすることの難しさを示している、という考え方もあるなあ

http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20080611/1213197701

くだんのケータイ向け掲示板は、2chほどの住人はいなかったようだ。ぽつりぽつりと容疑者の発言とおぼしきものだけが、連なっている。多少声をかける人もいたが、一人か二人程度で、容疑者の心を変えるだけの勢力にはなれてなかった。

これが2ちゃんねるなら、こんなことはなかったんじゃないか。少なくとも>>1の発言がその他より多いなんてことはなかったんじゃないか。ケータイ人口はPCの人口に比べてけた違いに多いが、その実アクティビティはたいしたこと無いのかもしれない。2ちゃんねるが特別すぎるだけかもしれないが。

なるほどなあ。実際、ちょっとライトにかつ深刻に落ち込んでいるときに、2chの人生相談系の板を試してみたら、結構気持ちよかった経験があるよ。ネットには人を誹謗する人間がいっぱいいるが、同時に励ましたがってる人間もあふれているとよく感じる。ちょっとしたボランティアというか少ないコストでいいこと気分。
話がそれるが、こういうのは偽善じゃないと思う。むしろ怠惰。誰かの役に立ちたいし、世界をよいものにしたいけど、具体的行動を起こすのはめんどくさいというスタンスだね。自分のことだけど!
まあそれはともかく、加藤くんも無責任な母集団の多い壷にめぐり合えれば、もうちょっとああいう事態を引き起こす期待値は低かったのかもしれない。少なくとも、そう考えることはなんとなくしっくりくる。となるとここから導き出せる教訓は、「携帯食い詰めて死にそうなときでも2chへのアクセスがあればなんとかなる」ということなのかも。
でもそれよりなにより思うんだけど、これって、小中学生の学校裏サイトとかネットいじめの件と一緒だよね。携帯ネットワーカのタコツボ化。自分は以前から、世界につながる端末を介してなんで学校社会の狭さを増幅させるのか、と思っていたのだけれども、携帯のネットワーキングは知り合い強化ツールであって、無窮の天地への窓ではないということなのね。
結局どれだけ軽快なブラウザが入っていても、携帯サイトにしかいかないからこうなるのか。それとも、2chみたいな広く浅く人が集まる携帯サイトがないだけなのか。いずれにせよ、もしかしたら技術的に軽減できる孤独感なのか?と気になる。