ペンテコステ派

 先日ある文献を読んでいて、南米やアフリカ・アジアといった広い範囲で、キリスト教プロテスタントの一派である「ペンテコステ派」が大流行していることを知った。一種、新興宗教として広範囲に流行しているらしい。初耳だったので調べてみたところ、ネット上で興味深い記事を見つけた。「ル・モンド・ディプロマティーク」の電子版の、2001年12月号にある「ペンテコステ派という繁栄の神学」アンドレ・コルタン著;北浦春香訳)である。
 簡単に教団とその広まりの概略をまとめると

  • ペンテコステ派の教義は特に異端ではないが、「異言」「癒し」などの聖霊の存在を信じている
  • 20世紀初頭に誕生し、1980年代に本格的に広がり出す
  • 南アフリカでは人口の約半数、チリやグアテマラでは人口の15-20%が信者。アフリカとラテンアメリカをあわせて一億人を超えるとも。
  • 国境を越えてすさまじい勢いで広がっている
  • その拡大ぶりにカトリック教会は危機感を抱いている

というところになるだろうか。
 なぜこうも拡大を見せているか、ということに対して、この記事では

 従来のペンテコステ派や「ネオ・ペンテコステ派」と呼ばれる新しいペンテコステ派、それに同種の教会は、「貧しい人々」を市場の要求に適応させようとしている点において、米国帝国主義だけでなく勝ち誇るネオ・リベラリズムの「霊的部門」となっているのだろうか。集団としての労働者階級ではなく個々人(一般的には貧しい人々)に向け、世界的な布教の成功を告げる「語りの装置」を通じて、これらの宗派はまぎれもなく構造調整プログラムの衝撃を和らげる働きをしている。改宗者に与えられるのは、まさに世界銀行が望んでいるもの、つまり女性と男性へのエンパワーメント(権限付与)であり、自己を信じ、逆境を乗り越えることができると信じる力である。こうして社会から排除された人々が、押し潰されることはない、「再起」しなければいけないと感じるようになるのだ。  信者は信仰心で満たされ陶然となっているため、ネオ・リベラリズムが押し付ける種々の新たな試練を抵抗なく受け入れる。その果てには、四輪駆動車を乗り回す宣教師のように、またたく間に豊かになれることが約束されている。与えなさい、そうすれば神は100倍にして返して下さるだろう!

という風に解読している。実際、冒頭でふれた文献でも、ペンテコステ派の浸透によりエスニック・グループのアイデンティティが失われることが危惧されていた。
 グローバリゼーションに後発国が対抗するには、品種の多様化や地域の特性を際だたせたブランド化やエコツーリズムその他による“自然を改変しない”稼ぎ方という戦略がある。収穫逓増の法則や資金力の問題がある以上、同じ土俵にのらず独自性を保つことは上手くすれば有効な戦略となることはわかりやすいが、物質的なグローバリゼーションだけでなく霊的!なグローバリゼーションともいえるこの教団の拡大には考えさせられるものがある。
誰だってテレビとエアコンと冷蔵庫の生活がしたいのは当然だけど。