大学はいいかげんにしましょう

さて、下に挙げました東大アニメ関連の話題を見ると、気がつくことがあります。おおかたの大学は、もはや既存の学問陣地にどっしり構えておられる時代ではなく、なにか目新しいことにとりくんだり、めざましい成果をあげなければやっていけない時代となりました。これには国立大学独立行政法人化とか少子化とか行政改革とかさまざまな切り口の語りがあるのですが、それらはずばっと無視することにして、ここでは大学業界全般に見受けられるある問題について憂いてみたいと思います。といっても、大学改革自体の是非ではありません。それは大学という装置にどういう意義を求めるかという社会的コンセンサスの問題なので、いろいろ改革なんかしちゃったりしてみて議論が頻出すればいいと切に思っています。では、筆者が考える問題とはなんでしょう?
その前に、最近(といってもよく考えるともう10年くらいこの傾向ですが)大学業界ではやりのトレンドを説明しましょう。
1. 産学連携:「産学協同」とくれば「フンサーイ!」と呼応する時代は終わりました。大学の研究をいかに産業界に役立てるか、に随所で血道を上げておられます。これには文部省がお金くれないなら産業界からもらうぜ、という意味もあるので、一概に大学業界のダラク!とはいいにくいのも事実です。
2. 学際研究:科学は先鋭化し、分断され、もはや学会に行っても隣の発表会場に入ると何を言ってるかちんぷんかんぷん、というのは珍しいことではありません。しかし分断された細部のみを扱う研究では、社会的に有効な成果を出すには少しつらい。そこで、多分野の学究が集まり、互いの叡智をもちより、マルチプルに問題にあたろうではないか、という流れです。大は文部科学省肝いりから、小は卒論の序文まで、学際ということばは大人気であります。
1・2の双方のトレンドに乗ろうとすると、旧来の枠組みでは難しい。という時、大学はどうでるか。それが本文の問題とするところであります。こういう場合多くの大学は、新しい研究科や学部を創造し、想像力欠如・あるいは暴走の名称をつけるのです。
全国の大学をリードする(べき)存在、かつ、国民の血税で運営されている、旧七帝大*1についてみてみましょう。といいながら大変残念なことに、大阪大学東北大学につながりませんでした。ので残りの5つで。

  • 東京大学の場合
    • 新領域創成科学研究科境界条件がないと何が新領域かわかりません。「情報学環・学際情報学府」アニメネタのところ。学環とか学府ということばがステキです。「人文社会系研究科」苦心の跡がしのばれますね。
  • 京都大学の場合
    • 「総合人間学部・人間・環境学研究科」人間を総合とはスケールが大きい。「地球環境学堂」学堂。なんでしょうねえ。「生命科学研究科」一見まともですが、農学とも医学とも違うところに注目です。
  • 北海道大学の場合
    • 概ねまともですが、「国際広報メディア研究科」「地球環境科学研究科」に少々あやしさを感じます。また「創成科学研究機構」は何をするところなのかわかりにくいですね。
  • 九州大学の場合
    • 「人間環境」「総合理工」などの幾分あやしい名称もさることながら、すべての分野において「学部-研究院-学府」という階層構造をとっています。なんだそれ。
  • 名古屋大学の場合
    • 「高等教育院」「教養教育院」という謎の分類群が目に付きます。学部では「情報文化学部」「国際開発研究科」がややにおいます。

とりあえず学部・研究科だけを見てきましたが、どこにもひとつはつっこみたくなるところがありますね。またセンター等でも香ばしいところは多々あります。特に産学連携に関しては、多くの人が知らぬうちに全国に「ベンチャービジネスラボラトリー(VBL)」なる組織ができています。参照:全国VBLの研究テーマ紹介
これらの例から筆者が取り上げたい問題は、次の二点です。
a. 何を意味するかわからない名称の乱立
およそあらゆる学会で、「もとは○○学部でして」という自己紹介がまかり通っています。新設だから仕方ない? なるほど。しかし経過年数の問題ではないのです。名称をつける、ことをあんまりにもおざなりにしちゃあいませんか?表記して字面がかっこよければ、中身がすぐに想像できなくとも、受験生や外部の人にわからなくてもいいのでしょうか?また、新設研究科等を立てるときになんら確固たるビジョンがないために、とりあえず受けの広い名称にしているだけでは?という疑念が巷間存在しております。環境関係でなんか総合的なことねー、てな感じで。
b. 新しい研究科名称ではあるが新しい学問分野名称ではないこと
たとえば仮に「人間環境総合学部」があるとして「人間環境総合学会」があるかというとそうではありません。理学部生物系から一人、工学部情報系から一人、文学部心理学系から一人、の3人のスタッフで「人間環境総合学部」を立ち上げたと仮定して、で、彼らがどういう学会で発表するかというと、情報学会なり生物学会なり心理学会であって、3人が同じ学術団体に所属するということはまあないのが多くの場合現状です。モザイクではあってもるつぼ・メルトポットではないのが大半の状況なのです。良心的でないスタッフは組織改革を「看板の掛け替え」「自分の所属が変わった」としか考えていませんし、良心的なスタッフですら、では実際にどうするかで立ちつくしているのが現状です。ウン十年も理科全般にふれたことのない先生と、シャカイガク?なにそれ?の先生をつれてきて、あるテーマの工学的影響と社会学的影響の総合調査を行っても、各論を順番に並べ最後におためごかしの座談会がつく程度(そしてそこでは話題はすれ違うばかり)の報告書ができるくらいです。
これは過渡期ならではの問題であるのかもしれません。現在のスタッフは旧制度下の教育を受けてきたから仕方なくこうなのかもしれません。それではしかし、新制度下の学生に旧制度を引きずるスタッフがどのような教育を行うのでしょうか。研究の観点からではなく教育の観点から組織改革・学際研究が十分に論じられているとは、筆者にはとても思えません。
つまり、お題目は立派ながらとても本気で取り組んでいるとは思えない、というのが筆者の感じるところです。学部新設とはどういうことか本気で考えているのでしょうか?社会的事情のせいで見切り発車を余儀なくされたとしても、そのあと「学部百年の大計」のようなものを頭を寄せ集めて論じたのでしょうか?今からでも遅くありません。新設学部/研究科の少なくとも30年くらいにわたる原理、プリンシプルを考えてください。そして実際的なアプローチを検討してください。ただの学内の人事異動で終わらせないで、明治期の大学人が行ったくらいの熱意と誇りをもって取り組むべきだと強く主張します。

*1:北大・東北大・東大・名大・京大・阪大・九大のこと。余談ですがこれらの大学ではわざわざ「七帝戦」という運動部交流戦を行っています。なんたるアナクロ!と思っていましたが、近頃では「七大戦」と称するようになり、それもまた微妙な気がします。