オタクのこと

どうにも腑に落ちないのは「オタク」の定義の問題なのだと思った。ゲームだろうがアニメだろうが漫画だろうが哲学だろうが政治だろうが、興味を覚えた対象に対してある一定の振る舞いを行う人はすべからく「オタク」だと思っていたのだが、そうではなくて、アニメやゲーム(それもPCゲーム)や漫画(劇画は入らないしヤンマガとかも入りにくい)への嗜好を「オタク」と言っている向きがあるのだな、つまり。で、この感覚のずれって、自分がすでに「オタク」が弾劾の時代では無かった頃に成長したからだろうか。そういやむかーし、『サラリーマンが電車の中で少年ジャンプを読んでいる日本の程度の低さ』みたいな論調があったが、それもこれも社会における漫画とかの受容が低かったからなのかね。
「オタク」とは性向や性質であって、特定の人の集団へのラベルではないと思っているので、『オタクを守れ!』とか『オタクへの理解』とか言われると、なんだかとっても不思議な気持ちになるのだな。ここでイメージしているある一定の振る舞い、というのは実は古今東西趣味の世界ではよくある振る舞いなので、自分の感覚では「あいつオタクだなー」と言う人々は江戸時代にもルネッサンスにもいると思うのだが、こうやってことばの意味を拡張させるよりも、限定的にある集団のことのみを「オタク」と呼び、特権性をもたせたりするのが戦略なのかねえ。ある一定の振る舞いを「オタク」とくくるのはわりかし便利なので、鶴屋南北ってオタだよねー(固有名詞は適当なのでつっこまないように)、とか言っちゃったりしたいのだけれど、80年代でもなんでもいいけどそこらへんの時代に突如認識された漫画やアニメに耽る集団にしか見られない特性、というのがあるのかしらん。「オタク」を同様の趣味に耽る集団とわける境目ってあるんだろうかねえ。