文学賞メッタ斬り その2

読み返すと出てくる気になる箇所のひとつ。221頁より。

豊崎  
 西尾さんは(中略) 読むと達者は達者なんですよね。だけど、中で本格ネタも出
 てくるけどすぐに割れちゃうし、謎の部分はほんとにたいしたことない。
 やっぱりキャラで読ませる小説なのかな。五人の天才女性キャラ*の誰に萌えるのか
 とか、そう読んだほうが面白いんだろうし (後略)
  *五人の天才女性キャラ 
  工学の天才美少女、玖渚友と“スタイルを持たない画家”“辿り着き切った学者”“味
  をしめた料理人”“超越し過ぎた占い師”という天才美女五人。

この前の214頁には「西尾維新さんもこの対談のために初めて読んだんですけど」とあるので、豊崎さんはいーちゃん(この場合西尾維新さんのことであります)の読者ではないらしいが、上に引用したところの引用だと、クビキリしか読んでないんじゃ?と思ってしまう。文学賞対談なので受賞作であるクビキリをとりあえず読んだのだろうか。まずくはないんだけど、いーちゃんの本領はクビツリとかヒトクイなどの後続作品により現れていると自分などは思うので、クビキリだけでこういってほしくないなあという気持ち。
達者とか謎はたいしたことないとかキャラで読ませるとかは確かにそうなんだけど、クビキリは賞に出した作品だからかそれでもミステリっぽくしてあるように思う。その制約から自由になったのか、むしろその後の作品は圧倒的に虚無感に満ちていて、そこが上遠野浩平との一番の差だと思うのだけど。
あと激しく申し立てたいのが、「キャラで読ませる小説」で「五人の天才女性キャラ」ってなんやねん!クビキリの最萌えはどう考えてもメイド3姉妹だろうが!最萌えが誰かは好みだとしても、あの小説の「キャラ」は「五人の天才女性キャラ」だけではない!メイドもイリアちゃんも哀川さんも等しく萌えキャラだ。クビキリを読んで「ああこれは五人の天才女性キャラに萌える小説なんだな」という読解をしたなら大問題だと思う。えーっと対談のためにお読みになったということは理解しているし、ご本人も西尾維新はわからんとおっしゃっているので大丈夫だと思うが、この読解が本当ならば、なにがあってもこのシリーズの書評を書くことはやめていただきたいと思う次第だ。あ、ここがわからない西尾維新、とかいうスタンスならOKです。
まあ実際、クビキリ以降の同シリーズ(戯言シリーズ)で、クビキリ事件が思い起こされるときは、学者とか画家よりもメイド3姉妹の方がよく思い起こされるんですよ。そういう点からも、一作しか読んでないのは明らかだと感じたわけで。
文学賞対談だから受賞作を読めばいいだろうというのはその通りなんですが、激賞の舞城*1については「暗闇」とか「世界は」の話題もあげて熱く語っているのだからねえ、と思いました。普通、否定的に語るときこそシリーズ作品なら続き読んでみない?

*1:王太郎。ちなみに自分も天才だと思っているので激賞自体は読者としてうれしい