やおい

やおいっていうのは本来、ヤマなしオチなしイミなしの意味であって、男性同性愛パロディのことをやおいというのは間違った用法なのだ!、と友人が熱く語っていたのは高校生の頃だなあと。そんで「間の楔」とかよまされたけど、今から思えばあれべつにやおいじゃないじゃん。むしろサドとか澁澤そういうの直系じゃん。
妄想の夏、日本の夏。今どきの高校生がやおいについてどういう語りをしているのかのぞき見してみたいものだ。ボーイズラブっていうのはそのころはまだなかったように思います。
追記:http://d.hatena.ne.jp/goito-mineral/20040816
まーべつに自分は腐女子でもなんでもないが、ちょっと違和感を感じたので。別にホモフォビアや男子オタ、あるいは世間からの反発を恐れているわけではなくて、ひそやかな楽しみというか、本道は本道としてあるからこそ妄想が楽しいということだと思うのだが。背徳感というかマイナー好みというかあえて感というかカスタマイズというか、そういう微量な気分の混合が妄想の楽しみであるからして、その恥じらいこそも楽しみなので、恥じらいを持たなくてもいいのだという価値付けはこの場合あまり意味がないのではないか(マンガ史的には必要かもしれないが)。彼女らは妄想を変則的な楽しみ方だと理解しているし、また変則的に楽しめる自分にある意味誇りを抱いており、それと本道の楽しみ方はある意味独立していると感じているから、本道を変則へゆがめるような姿勢に怒りを覚えるのだと思います。
さらに追記(8/17):紛糾していてわらった。男オタとか女オタとかいう問題じゃなくて、文章が読めないだけなんじゃないかと思う。