オタクに関する自分用メモ

自分用メモなので特にあれこれ言わないのだ!
http://d.hatena.ne.jp/motidukisigeru/20040918#p7
motidukiさんのhakagix読解より、「東先生の「オタクの中で偉くなるというのが、正直よくわからない」ってどうよ」バナシ。
http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20040917#p1
TRiCKFiSHさんの「『差異の闘争からの逃走』をしていたはずのオタクが『差異の闘争』に転じてしまっている」バナシ。
http://d.hatena.ne.jp/cuteplus/20040921#p3
cuteplusさんの「体制化する岡田斗志夫」バナシと「一回りして再発見される80年代」バナシ。*1

そんでまあ当然決意虚しくあれこれ言うわけだけれど、たまたま目にしたタイミングの問題もあって、これら3者は自分の目には同じものを扱っているように読めた。で、さらに加えて、motidukiさんのところのコメント欄にも書いたが、自分にはTRiCKFiSHさんやcuteplusさんの表わす違和感にどうも共感できないのだけれど、それは単に内容に共感できないというよりは、どこにそんなオタクがいるのかなあという風に思われて、やっぱり「オタクってなんだ?」という疑問が浮かび上がる。オタクって、自分にとっては、はなから抑圧的で家父長制で派閥のあるものだと思ってたんだけどなあ。春風高校光画部とか抑圧的だよね(ここへのつっこみは聞きませんよ!)。
というのも自分の観点ではオタクの本質はため込むことにあるので、逃げ続けるとかトリックスターという軽やかな役割はそもそも不向きなんじゃないかと思うのだが。ため込むのは情報でもモノでも経験でもなんでもありなんだけど、ため込むことはつまり持つことであるわけで、持てる者はふつう、王様の道化にはならない。(ちょっと追記:持たざる者で守るべきところがない者だから境界を軽々と侵犯できる。昔懐かしの言い方でいえば、オタクってパラノじゃないか、ということ。もひとつ追記:既存の社会の価値体系には背を向けているので、その辺は逃走で脱社会に見えるかもしれないけど、それは視点を既存社会に固定したときの見方であって、もともと従来の社会に背を向けた一方、自らの社会構築には熱心だったじゃないかという気もする。)
オタクを軽やかなアウトサイダーとして見なす観点がなぜ彼らにあり自分にないのかが不思議なんだけれど、むしろその差が世代問題*2なのかなあという気もする。でもSFファンジンの思い出話とか読んでると、やっぱり昔からたくさん知っている人はえらいという雰囲気はあるんじゃないかと思うし、江戸川乱歩だって(海外ミステリ)オタクの先駆けのように感じられるし、やっぱり問題は彼我の「オタク像」のちがいなのだろうなあ。
ここまでの流れでも明らかなように、自分はオタクをあんまり大した存在だと思っていなくて、エンタテインメントの消費のあり方のひとつだと思っているので、なんでオタクにそんなに期待できるのかなあという、逆アップ感を感じてしまう。オタクってそんなに新しい存在かなあ。平和で豊かな社会だったら、趣味にかまけて趣味がこじれてえらいことになるのってごく当たり前のことじゃないのかなあ。オタクという集団、オタクというあり方が社会システムに発見されたからオタク向け市場が成立するようになったって感じがする。
というところで時間切れ。どうもまとまらないまま出かけます。ではでは。

*1:ただしこの記事の前段の「オタク=芸人であらねばならない界隈への違和感」は非常によく理解できる。

*2:世代論というより世代的経験の問題