文章と実体

下からの続きで。自分は読むことがすごく好きだからか、実際のなにかよりも書かれたなにかのほうに強く惹かれる。「生首」のなかに描かれる彫刻は目に浮かぶし、素晴らしいなあと思うけれど、実際に美術館に行って彫刻をみようとは思わない。不思議。最高の音楽も美術も味も香りも、実体のあるそれよりは文章の中につづられたそれのほうにあると思う。
ただその原因というか根元が、文章という表現方法の特質にあるのか自分の中にあるのかがわからない。五官は直接的なのに比べて、文章を読むというのは二次的な作用だからとか、もっと適当にいえば「右脳と左脳」みたいな特性の違いが効いているということは可能だろう。一方で、文章を読むことには自己流ではあるけれど鍛練を積んでいるしキャリアもまあ長いから習熟しているけれど、ほかの感覚器官はあまり鍛えられていないから、「言外の言」のようなものをとらえる能力がほかの感覚では弱いんじゃないかと思わないでもない。
子供の頃の経験。メリー・ポピンズにでてくるお菓子の数々がすごくおいしそうで憧れて憧れて、けれど実際のジンジャー・ビスケットはそんなには美味しくなかった。そういう経験はきっと誰しもあるものだろうけれど、それが自分にはずっと続いていて、文章でつづられるなにか、現実ではないなにかのほうに耽溺しているというか、それを最上のものだとおもっている節がある。具体的にいうならば、美味しい料理は美味しく食べて、ああ美味しいと思うけれど、でもこの世の中で最も美味しいものは文章の中のなにかだと思っている。こういうのってどうなのかねえ。文明人の病なんだろうか。