オレンジレンジとクレイジーケンバンドと

オレンジレンジクレイジーケンバンドの両方が売れる時代だっていうのはよく考えると面白い。もちろん同じようには売れているわけではないけれど。米軍とか外国とか異人街とか芸能とかそういう要素では似たような2つの場所で、それぞれローカリティーを超強烈に打ちだしているバンドなわけだけれど、CKBは一周まわってひねってってかんじなのに対して、オレンジレンジはそのままってかんじ。オレンジレンジはそうそう大ブレイクせずに20年くらい熟成したらCKBになったかな?
あとオレンジレンジはパフォーマンス重視のバンドっぽいから、パクリだとかそういうのは糾弾にならないんじゃないかなあと思った。家で曲作ってる系バンドくんじゃなくって、アクト中心バンドくんだと、なんかこだわりのポイントが違うんじゃないかと思った。っていうかいつから曲を作らないとえらくなくなったんだ。曲を作る能力が無くともパフォーマンス能力が抜群ならいいと思うんだけど。
そういえば昨日、オキナワとオレンジレンジをくっつけて書いたけど、パクリ糾弾サイトの人が紅白で空港通りでライブやったことを軽率と表しているのを知って驚いた。
http://www.medianetjapan.com/2/20/music_audio/toor/shingiwaku.html
パクリ糾弾自体に特にコメントはないけど、この文章にはなんか奇妙な感じを受けた。
そもそも沖縄市制施行三十周年記念ライブの一出演者だということはわかっているのかな。沖縄市主催のライブにオレンジレンジも出ていてそこから中継ということなんであって、紅白のためにわざわざ出張ったわけじゃない。基地じゃなくて基地の前の公道だし。
基地の前の通りだからこそミクスチャーな文化の中心地なわけで、オレンジレンジアイデンティティーとして空港通りを選ぶというのはよく分かる。地元だし、11月にもそこでライブやってるしねえ。むしろ首里城とかから中継しちゃうと、エキゾチズムとしてのオキナワ、つまり内地から見てうつくしいオキナワ観にはフィットするのかもしれないけど、それはなにかすごくヘンなことじゃないかと思う。
この文章でもひとつよくわからないのは、オレンジレンジがそこで中継しなくても、そこから戦争に行く兵隊はいるしその中には死ぬ兵隊もいるだろうに、それを中継することが人の心を傷つけるということなのか。それなら反対に、わりとたくさんの人が普段見ないふりをしている在沖米軍基地をびしっと見せたという点で、考える機会を与えたという言い方もたつんじゃないの。あとあえて新潟の歌を歌って大地震を思い出させた小林幸子は被災者の心を傷つけてないの?
まあイラク戦争のために基地についてナイーブになってしまう気持ちはわからんでもないが、生まれた時から基地と共に育ってきてYナンバーがうろうろする地域で遊んでる人たちに、基地のことについて何も考えていないとか、軽率とかいうのもすごい話だと思った。これを書いた人が米軍基地近隣に住んでいるという可能性もあるけどさ。こういうナイーブなスタンスが糾弾側なのかなあ。