いい年をしてリップスライムとか聞き始めて2ヶ月くらいの人がHIPHOPについてのイメージを語るよ

いい年をしてリップスライムとSOUL'd OUTを聞き出したわけです。現状ではRIPのアルバムは3枚、S.O.のアルバムは1枚もってるだけなんですけど、体質がオタク風味なので、ファンサイトとかラジオ起こしとかライブレポとかいろいろ読んで、彼らについての語りを堪能してまわってます。ラジオの起こし読むのが音楽を聴くことの十倍くらいおもろいっていうのには、自分でもどうかと思うわ。
そんでたったわずかそれだけの収集ながらイメージを語ると、どうもHIPHOPやってる/愛好している人たちには、「それがHIPHOPか」という神学的な非難がありありのようですね。2chなどでは「リップとかキックのスレをHIPHOP板にたてるな!邦楽板行け!」という発言や、「俺はHIPHOPとしてのリップが好きなのに、このスレまで邦楽くさいレスがついてきた」という発言がしきりにみられます。モーニング娘。とかジャニーズとかも混在するオモテのチャートでよい順位を取るようなグループには、従来のHIPHOP愛好サークル以外の客が当然つくんですけど、そういう客をうっとうしがったり、排除したがったり、自分と差別化したがったり。いわば「HIPHOP保守」とでもいいたくなるような気質の愛好者がわりといるようです。また意味としては同じながら現れ方が逆の例として、「リップをきっかけにHIPHOPが好きになってくれればいいよ」という発言も観察できます。これは結局のところ、リップだけが好きでも俺達の仲間とはみとめないもんね、という謂いに他ならず、自分たちのサークルへ同化しようとする新参のみ一人前とカウントするもんねという態度といえましょう。リベラルづらした保守って匂いがします。妻が働きにいくことは賛成だけど家事をする気は一切ないダンナみたいな。斉藤美奈子さんに嫌われそうな。また、もう完全に住み分けを志向している弱気な保守の人たちもいます。「ミーハーはミーハーでほっとこうよ、こっちはこっちでひっそりもりあがればいいよ」みたいな。この弱気保守の亜種として完全に諦観に支配されたグループがあり、「○○なうちは仕方がない」と諦めているっぽいです。テレビ出てるうちはーとかオリコン載ってるうちはーとか。そのうち、売れてるうちはーとか言い出しそうな気もします。ちょっと待て。そうなってくるといつもの論争です。アーティストにとって「売れる」とはなにか。売れればいいのか、でも売れないとつらいじゃないか、たまたま売れたのはよくて売れるためにつくったのはだめなのか、etc.etc... でもこれに深入りすると大変なのでやめましょう。若いっていいなあ。
HIPHOP保守」の人たちにはまた、人間関係や音楽的歴史認識に蘊蓄がある向きも多いようです。人間関係っていうのはダレソレがダレソレの弟子筋とか先輩ー後輩関係とかいうやつです。レーベルが、とかハコが、とか、HIPHOPのひとたちは、実際の生活環境の中でかなり先輩後輩関係の紐帯がつよそうな感じを受けます。他方、音楽的歴史認識について。今の浅薄な理解で語るのは申し訳ないですが、どうもHIPHOPっていうのはサンプリングってやつと切っても切れない関係であり、つまり元ネタとなるようなオイシイ音楽をどんだけ知っているかということがナイスな曲を産み出す原動力なのだという意味で、たくさんの、それもあんまり人に知られていない音楽を知ってるやつはスゴイという考え方があると。更に加えて、サンプリングの魅力の一つに本歌取り、またはパロディや引用の遊びがあることから、ミエミエのフレーズを斬新に使えるやつはスゴイという価値観があるっぽい。だからメジャーな曲もマイナーな曲もどっちも押さえておけということらしい。というわけで現代に至るまでの音楽的歴史認識を正しく広く深く知っているということに、一定の価値が見いだされているようです。この二つの知識、人間関係蘊蓄にしろ音楽的歴史認識蘊蓄にしろ、ある楽曲やグループの理解や解釈、評論にもちいられているうちは害がない(というより非常にオーソドックスな音楽理解のあり方*1)んですが、「HIPHOP保守」の人たちは愛好者の中での格付けにこれを持ち出す風潮があって大変めんどくさい。「リップにきゃーきゃーいってる奴らは元ネタもわかってないんだろうな(w」みたいな。知らんがな、といいたくなりますね。でも彼らにとってはそれがすごく重要みたいです。
と、他人事のように書きましたけれど、フィールドをミステリに移すとはっきりいって他人事じゃないのです。言う言う。ワテもよう言いまっせ、そういうこと! 「西尾維新読んだだけでミステリ好きとかいうなって」とか「西尾維新がちりばめてる元ネタをわかってないだろうな(w」とか「新青春エンタ好きのひとには講談社ノベルスというレーベルの重みを分かって欲しい」とか。アニメで言えば、「リップやキックをきっかけに入ってくる奴らって…」っていうのは「エヴァ以降のアニオタは…」というのと同義なのではないでしょうか。そう考えると、HIPHOP/クラブ→おしゃれ:SF/アニメ→非おしゃれ*2、という表層的なグループ分けがあっても、ねっこのところのそのジャンル保守の言ってることは大して変わらないような気がします。自分はこの、ジャンルにかかわらずこういう言動をみせる人間(グループ)のことを「オタク」とよぶと思っています。ものごとをつきつめて、知識を収集して、それらをつなげてならべて再編して遊ぶ人々、同時に、細かいことにこだわってうるさい人々。これが「オタク」イメージの一つのありかたでしょう。イヤなオタクというのは知識を盾にしていばりくさるひと、いいオタクというのは知識を用いて隠された意図や面白さを解説してくれる人。「アニメに必死になる人々」より、「ジャンルを問わず何かに必死になる人々が似たような行動をとること」の方が面白いのでは?何を対象とするかなんて、些細な問題だと思うんだけどなあ。だから自分は「行為としてのオタク」というとらえ方のほうがすっきりしていると思います。おお、いい響きだ。
「行為としてのオタク」の対象になるのは「行為としての腐女子」かなという気もします。2chHIPHOP保守の人の発言を観察していると、これまでのHIPHOPコンテキストのなかでのリップに目を向けず、メンバーのダレソレがかっこいい!という想いのみでつっぱしる人々を、「腐女子」とけなすレスが見受けられ、えーこのことばってそんなに浸透してるのーと思うと共に、これちょっと前だったら「ミーハー」としか言いようがなかったろうに、とも思い。
あー、書いてるうちに飽きてきたのでこの辺で。これを書いた動機は、ミステリでは小言爺を気取る自分がHIPHOPでは保守のみなさんをめんどくせーなーと認識しているのに気がついたから。似たような行動なのにそう感じる自分が面白かったのと、そう気づいて以降、HIPHOP保守の人のこともなんとなく愛しく思えてきた。あと先日もふれた「オタクの歴史認識欠如*3」話題を読んでて、おお似たような因縁つけが各所で!と思ったので。こういうすれ違いが焦点になるかどうかは、苦言を呈する役に十分な人がちゃんと期待に応えて苦言を呈するかどうかという違いが大きそうなので、そういうタレントがいっぱいいるアニメ漫画SF方面ではビビッドな問題になりやすいのかもしれない。あとジャンルの成熟と同時に、マーケット経由ジャンルの大衆化が進むと対立が焦点化しやすいのかもしんない。そう考えるとアニメ業界より母集団が大きい音楽業界の方がそういうすれ違いは多そうなのに、あんまり目立たないのはなんでかな。知らないからだけなのかしら。それともとんでもないマスで素人が流入してくるからかしら。音楽業界ネット論壇に詳しい方に聞きたいところだ。

*1:HIPHOPだけじゃなくてロックでもアイドル歌謡でもクラシックでもそう

*2:自衛のためにミステリ抜いちゃった。てへ。

*3:http://d.hatena.ne.jp/kanose/20050228#otakuhis