ゆっくり読む「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」その1

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書


前置き:
というわけでようやく購入したわけだが、ぱらぱらと読んだところ大森望の解説が言いたいことを全部言ってくれてるぜチクショウな感じなので全体の感想を書くのもなーと思い、ゆっくり読んでちょっとずつ思ったことを書くことにする。
あまりにも膨大な本なので、興味のあるところを拾い読みしてだんだん埋めていくというスタイルを取る人が多いようだが、自分は本でも雑誌でもアタマから読まないと気持ち悪いと感じるほうなので初めからぐつぐつと読んでいる。愚直に年表も註も全部ぐつぐつと読んでいる。こういうのは一旦愚直に読むと決めたら必ずその決まりを守り通さないといけないのだ。面白味が半減するからね。ところどころでハッとしたり考え込んだりするのでなかなか進まないのがまた気持ちいい。そんな感じで読んでいる人の記録です。
その1:序章〜第一章
序章はラスト一段落に尽きる。尽きるんだけどその前に丁寧で行き届いたフリがあるというのが醍醐味。この、自分から見れば異常に思える努力量が面白いんだよねえ。異常と偉業はよく似ている。序章で一番考え込んだのは次の一文。『「出会い系サイト」だけは“サイト”に違和感がないのはなぜだろうか。(p.13)』。
第一章で面白かったのは、e-zineの項の註6・21・27。インターネットと関係ないよ! でもこのインターネットと関係ない註がミニコミと音楽の註だと言うことが象徴的で、日本の個人サイトの隆盛が音楽系から始まったというのを今回初めて知った。古いネットワーカーに音楽好きが多い理由がよく分かった。ネットワーカーには明らかに音楽のカタマリとオタクのカタマリがあるような気がしてたけど、そうかそういうことだったのかと。というかですね、西海岸文化としてのインターネッツを初めて感じたと思った。たとえば「当時のネットの主流であるクラブもテクノも関係ないものの〜(p.64)」という記述。自分が始めた頃にはもうそういう薫りは探さないと感じられなかったなあ。そういうわけでこのあたりの記述は音楽好きの人が読むときっと倍ぐらい面白いんじゃなかろうか。当時インターネッツ化されてなくても音楽的出来事の歴史が身体に刻み込まれてる人なら、余計に興奮できると思う。
というように音楽に傾いてる雰囲気だなあと油断していると、ウェブ日記の項の註10で唐突に吾妻ひでおがでてきて虚をつかれる。こっちカルチャーもか!みたいな。全然関係ないけど自分はばるぼらさんの文体が好きで、すごく好きで、憧れすらあるのだけれど、本書ではやっぱり「あなた」だよねえ。「あなた」の使い方がものすごいので文体好きの人はそれをチェックしてみて欲しい。たとえばp.75の註8。この註そのものについては、自分の部屋は全部蛍光灯なんだけどなあと思ったけど、きっとインテリアがおしゃれ間接照明な人じゃないと読者になれないんだ!とか僻んではいけないんだろう。

誤植?と思ったところ。p.42上段「遺志」は「意志」?遺志でも話は通じるのでこれは気のせいかも。p.65註9「キノトロープ」は本文対応箇所に「不連続殺人事件」がきている。
以上、その1でした。次は二章だけど量が多そうなのでちょっとかかりそうだな。あと一つの章の中にいくつかの節があって、節ごとに註がリセットされている形なのだが、こういうぶちぶちした感想を書くにはその構造がちょっと面倒だな。○章の註×、というのが複数あることになるので。ページ数と小見出しで参照できるようにすればいいか。