ファウスト vol.5

うーん、ファウスト第五号を読了したが、なんともいえない違和感を覚えた。
まず「小説少なくない?」。今回の小説は上遠野浩平佐藤友哉3本・西尾のりすか・浦賀の前号からの連作短編という全6本。840ページでほとんど二段組みの雑誌で全6本。しかも半分は佐藤友哉なのだが、このユヤタンが以前「群像」に載ったのと同様のサリンジャーへのオマージュ?ものだったので参った。自分はかなりサリンジャーが好きで、なかでも「エズミに捧ぐ」が好きで好きで好きで好きでなので、今回はほとほと参った。端的に言って、サリンジャーの翻案にしか見えなかった。そのため、なぜ佐藤友哉の筆でサリンジャーを読まなくてはいけないのだろうと思ってしまう。おんなじようなものに過ぎないならばサリンジャーを読めばいいと思う。あと群像を読んだ時も思ったけれど、サリンジャーの世界の中に描かれる世界大戦やユダヤ人という存在を、ファンタジーのようなもので置き換えるのが耐えられない。エズミはやっぱり「戦争」であって「襲撃」ではない。たぶんここの感覚がポイントなんだろう。「襲撃」でいいという人にはこの違和感は伝わらないだろうなあ。もしかすると佐藤友哉という作家の作家人生の必然において、今回のような小説は書かれるべきものなのかもしれない。けれどもなぜ佐藤友哉に特に思い入れのない自分がこれを読まされるのかがわからない。ファウストを購入することはそこまでの同意なんだろうかと思う。強烈な違和感。たとえばこれが舞城王太郎の「九十九九」のような小説ならばうれしかったのにと思う。佐藤友哉の作品自体には好きなものもあるだけに残念だ。
次に「対談多くない?」。上遠野関係で2つ、ひぐらし関係で2つ、赤田祐一との編集者対談の計5つ。それも結構ボリュームがある。でも内容はなかなか面白くて、特に奈須きのこ竜騎士07の対談はかなり面白かった。これはひろく読まれるべきだと思う。特に太田編集長の同人界と商業文学界の相対問題への語りには、初めてファウストで太田編集長おお!と思った。しかしファウストでいっつも不思議に思うのが編集長の誌面への現れ方なのだが、すべての対談でここまで自分の思いを述べるなら、ダッシュではなくちゃんと名前をクレジットするべきだ。この距離感−−誌面全体で内容にはじゃんじゃん立ち現れるのに自分の名前を全然クレジットしない態度−−には毎回どうも納得行かない。違和感。ここまでしつこくこの状態をキープするからには、なにか信念があるんだろうが、むしろその信念について一度聞いてみたいものだ。理解できなくてもいいから考え方の筋道を説明して欲しいと思う。
上遠野関係の対談も面白かったけど、西尾維新はインタビュアーとしてはだめだなあと暖かく思った。テンションの高い西尾と太田相手に、ずらしまくる上遠野という冒頭には爆笑した。性格的問題なのかそれとも場の雰囲気にたじたじしていた故なのかが気になる。何号か前に流水が西尾をインタビューした時はもっと普通だったのにね。上遠野対談2本目は波状言論からの再録ということだが、“再録に当たって再構成したので結果として分量はほぼ半減した”という東先生による序文になんだかなあと思った。自分は波状読者ではないが、こうも堂々と、波状では編集してない垂れ流しを載せてたという趣旨のことを明言される波状読者はいい面の皮だなあと感じた。もっとも生データに近い形のものを配信するほうがサービスとして優れているという発想が波状読者たちに共有されていればなんの問題もないことなわけだが。
赤田祐一対談は面白かった。というか赤田祐一をフィーチャーするのがうれしい。前号でも感じたが、ファウストは確実に自分の好きなツボをついてくる。ツボが一緒なのにアプローチが逆だからすごくひっかかるのだなあ。それはともかく、赤田対談はかなり面白かった。これも広く読まれるべき。そういえば「あかまつ」ってどうなったんすかね。大泉実成が好きで好きで好きな自分としては、書き下ろし原稿が読めて嬉しくて仕方がない。大泉が赤田について書いたものをよめるなんて。もうこれだけで幸せです、ありがとう。
とは思いつつも違和感についてまとめると、つまりは「ファウストを買って読む」という行為にどこまでを要求されるのかということに尽きる。メフィスト賞から出てきたけれども、現状のメフィスト連載陣とは少し毛色の異なる舞城や西尾や佐藤を収容するための文芸雑誌を期待していたのだが、どんどん文学同人誌みたいになってきている現状。アジールとしてのファウスト。うーーん。もうあれなのかなあ、同意しないんだから買わないほうがいいのかなあ。赤田対談でちょっと出てくるけど、「自意識を担保するためにファウストを読む」という読者層は確かにいそうだし、そういう読者との間で幸福な関係が成立しているのなら雑誌としていうことはないわけで、そこに「あーりすかのつづき読まなくちゃ」とか「メフィストの出ない月はファウストでも読むか」というスタンスで接触することが間違いなのかもしれないなあ。もっとシンプルに、連載陣はいいけど主張がキモイから読まない、とか、主張の気持ち悪さが酒の肴として適しているので読む、というスタンスを再確認したほうがいいなあ。でも発行間隔が長いからつい忘れてしまうんだよねえ。あと代替するものがないのがつらい。音楽雑誌なら語り系とデータ系が並列しているのにね。代替誌として、西尾や舞城をふつーに載せて定期的に出る雑誌があるといいんだけどなあ。誰かつくってください。
追記:あーびっくりしたー、また全部「りりか」って書いていた。というわけでなおしました。失礼。