「オタクvsサブカル!」でやおいを思う

ユリイカ2005年8月増刊号 総特集=オタクvsサブカル! 1991→2005ポップカルチャー全史
まだ読んでます。田口和裕まで行った。あともうちょっとだな。
加野瀬さんとばるぼらさんの対談中、女オタクの項にちょっとひっかかりを覚えた。
p.108より

加野瀬
いえ、腐女子という言葉の定義も変わってきていますが、基本的にはやおいボーイズラブやおいは同性愛視点で描いた二次創作、ボーイズラブはオリジナルの同性愛もの)が好きな女の子、という意味なので女オタクとふ腐女子は違います。女オタクでもやおいに興味のない人はいるので、女オタクの中に腐女子がいる、という構図です。でも、最近は女オタク全般を指す言葉になりつつあるという現状はあるんですが。

腐女子と女オタクの関係はいいんだけど、やおいとBLの包含関係ってこれでいいんだろうか。やおいという言葉には広義と狭義があって、二次創作は狭義のやおいであり、広義のやおいは女性向け男性同性愛フィクション全体を指す―と思ってたんだけど。「女オタクでもやおいに興味のない人はいるので」の部分は広義のやおいを指しているように思えるのに、()内で狭義のやおいの説明を付しているためになんか矛盾が生まれている気がする。どうだろ。でもはてなキーワードとかwikiとか見ると、やおいやBLの指すところについても諸説紛々だなあ。やおいが上位概念というのも定説ではないのか。
やおい方面とは間接的な接触しかないので、当事者の人のつっこみ歓迎。よろしく。それにしても、腐女子の個人的な語りを集めたものはもっとあってもいいよね。でも、そういう出版物なりインタビュー集なりをとりまとめることができるようなライターとか編集者とか雑誌が思いつかない。高原英理とか?それだとちょっと硬い感じ。もうちょっとかろやかに、別冊宝島くらいの感じで腐女子を正面からあつかったムックがでるといいのにねえ。でるといいのにねえっていうか、誰かつくってくださいよ。買いますよ。腐女子フォークロア、すごい読みたいよ。とかなんとか言ってないで、自分で集めたほうが楽しいのかもしれないけどね。
先にも述べたが、自分とやおい腐女子の関係は間接的だ。つまり、友人がやおい好き、ということです。個人的な感覚としては、本格的に少女マンガを読んでるとやおいにならざるを得ない時代があったと思う。グリーンウッドとかアーシアンのころですねえ。そういう、普通の本屋で売ってる普通の出版社(新書館は普通じゃなかったかも)の普通の漫画の薄皮一枚下に、同人とかやおいとかそういうのがたぎっているのが感じられるような雰囲気だった。自分自身はそんな熱心な漫画読みでもなかったのでそこでとまってたけど、ちょっと周辺掘り下げる人だとすぐやおいゾーンに到達してしまたんじゃないだろうか。だから特別に特殊なこととは思わずに、気がつくとJUNEを買ってて、気がつくと同人誌買ってて、気がつくと同人誌つくってて、と流れていったという印象。
当時の自分はそういう友人にそういうのを貸し付けられては喜んで読んでいた。そっちへ流れなかったのはひとえに趣味の方角の問題だと思うけど、男性同性愛フィクションについてはアングラっぽくて面白いなあと思ってた。特にJUNE。それも小JUNEは、創作として面白いのもさることながら、こんなのがあって売れてて買ってる友がいて読んでる自分がいるという一連の構図がなんともおもしろくて、モンドというかビザールというかそういう気分で読んでた。お、サブカルっぽいな。友達の買い物についていったら、普段いく駅前の本屋じゃなくて、悪所近辺の本屋にしかJUNEは置いてなかったし、そこでは薔薇族とさぶの隣が指定席だった。あのときもしりぼんとかマーガレットの隣においてあったら、大して興味持たなかったかもしれないなあ。自分にとってはだからあくまで、悪趣味物件としての面白さが中心だったということなんだろう。
そのころ読んだ男性同性愛フィクションでは、特に吉原理恵子間の楔」に強烈な衝撃を受けた。完成された悪趣味だと思った。しばらく眩暈がする読後感だった。今読むとどう思うかわからないけれど、当時の自分にはおおごとだった。でも同時期に読んだ他の男性同性愛フィクションには間の楔ほど突き抜けておらず、ただただ辛気臭いのが多くて、読むとぐったりつかれると感じていたので、めんどくさいなーと思ってた。そのころは自分の自意識すらもてあましていたので、悩んだり迷ったり傷ついたりする自意識にあふれる主人公というものが、なんかめんどくさかったのだ。ところが、しばらくしてから全然毛色が違う疲れない男性同性愛フィクションというものがあるのを知った。初体験は「タクミくんシリーズ」じゃないかなあ。そういう明るく楽しい作品群には大変驚いた(「タクミくんシリーズ」は今にして思えば、それほど能天気でもなかったと思うけど)。ラブコメじゃん!と思った。このときにほんとにはっきり、うぉー新しい時代が来たー、と思ったのを覚えている。男性同性愛であることのエクスキューズみたいなのが全くなかったのには本当にびっくりした。しかし、間接的にしか接触してなかったからそう思ったのかもしれないなあ。
そうこうしているうちに、ジャンルの複雑化が進んでぜーんぜん把握できなくなった。あとそんなに悪趣味でもなくなって市民権を勝ち得はじめたので、だんだん興味が薄れてきたというのもある。なんか商業的に確立されたために、有象無象が跳梁跋扈というわくわくする感じが薄れるように思えたのかもしれない。
以上、個人的なやおい語りでした。お粗末様。