情報の大海で検索しないということ

殊能将之先生のmemoより
http://www001.upp.so-net.ne.jp/mercysnow/LinkDiary/links05101.html

 若いころ、図書館でこんなことをやっていた。
 図書館にトランプを持参し、3枚並べる。数字のカードはそのまま、絵札は0に対応させ、たとえば「803」と読みとる。その分類に対応する棚に行き、背表紙をながめて、おもしろそうな本を選んで読む。すると、絶対に読むはずのない本を読むことができる。

この話の前段は「検索では衝動買いができない」という話。いかに面白いものと“遭遇”するかというのは、この情報の大海社会では本当に大変だけど、でも検索のない時代でも“遭遇”のチャンスをつくるっていうのは大変だったなあと思い出す。自分は殊能先生とは逆に、何かひとつのシリーズをべたっと読むというのを業として課していたころがある。たとえば乱歩賞受賞作とかなんとかアンソロジーとかそういうの。あるいは小説新潮を一年間通して読む、とか。どの一冊も飛ばさず読むということを課すと、書評やレビューなどの情報だけでは読み飛ばすようなものにアクセスできる。
今にして思えばなぜこの作者を読み始めたのだろうというものがいくつかある。そういう幸福な出会いを繰り返し体験すると、“遭遇”をシステムとしてキープすることに気をつけるようになる。検索は便利だけど、便利さに乗っ取られないようにしないとね。