小学館提訴の話

今週はずーっとこの話を追っている。いろいろな立場からのいろいろな感想がいろいろと面白い。
当事者間の感情的行き違いについては、まっとうな大人はコメントしてもしょうがないと思うようで、ビジネスモデル的なことに目がいってる論調が多い。実際、話を深刻にしている原因はそこにありそうだし。出版社の社員編集者が公私を投げ打って作家に尽くすというビジネスモデルは破綻しつつあり、エージェント機能を強化した方がいいんじゃないか、とたけくまメモ(2008.6.13)で読んだ。似たような論調は多のブログでも見かける。非常に納得すると同時に、違和感がある。
だって原稿をなくすのは会社員としておかしいよ?あと漫画家を激高させているのもおかしい。本件を会社員としてみるならば、その取引先との関係が崩れたら自社商品がなりたたないというような取引先をしくじっているということになるのでは?サンデーからマガジンに漫画家流出しているのは、特許を持っている取引先をしくじって、競合相手に鞍替えされたということに近いんじゃないでしょうか。担当者の個人の力量のせいで、そんな事態を引き起こしたら、顛末書どころじゃないでしょう。懲戒になってもおかしくない気がする。
つまり、ここで話題にされている社員編集者は編集者(目利き&漫画家育成者)として技術・意識が低いだけではなく、会社員としても品質が低すぎると主張したいわけです。そもそも契約を結ばず仕事を始めているとか、よく分からない名目で一社に囲い込まれるとか、漫画出版業という業界の経営品質そのものが低すぎるのではないか。だいたい原稿の納品がないとまわらない産業なのに、納品後のなくす保管状態って、内部統制的にどうよ。非上場企業だからSOX法に関係ないからいいのか。でも会社法的には善管注意義務にひっかかるんじゃないか。
出版社は言論の自由を守るため上場しないとよくいうけど、この現状だとたんに会社のレベル低いから上場できないだけじゃね?って思ってしまうな。企業は社会の公器という最近の経済界の流行からすると、ありえないマネジメントの現状だと思うし、いったん資金繰りにショートした場合、こういう状況だと資金調達しにくいだろうなあ。
というわけで本件について、ビジネスモデル破綻を語る際には、「会社員が“編集”することは無理」という表現の使い方についてご一考いただきたい。今話題になっている“編集者”の人たちは、ふつうの企業ではたぶん、会社員としてもつかいものにならないと思います。