ウェブログ論争保険

ちょっと真面目に考えてみる。インターネットは全世界に開かれている、という前提がある。しかし、すべての人が全世界に開かれていることを意識しているかというとそういうわけではない。インターネット上にあるテキストなどは、広い範囲からアクセス可能だから便利だ。したがって、ただ便利だから使っている、という人もいる。近況を書いておいてお知らせする、とか、同好の士と語り合いたいとか。見る人を選びたいならプライベートモードでやんなさい、というのは正論だが、すべての人がそのように身を慎むことができれば、あるいは、すべての人がFAQを読むような注意深さがあるならば、そもそも問題が起こるはずはない。
インターネットな人々は歴史的な経緯なのか、自力でなんとかする、ことを非常に大切にしているようだ。既出事項はログを読め、とか、セキュリティ意識がないものにつなぐ資格はない、とかそれは全くその通りだが、現在既にそれができなくて摩擦を起こしている人はたくさんいるように思える。人間の質を担保にネット文化は進んできたのかもしれないが、インターネットで金儲けするには参加者が多い方が望ましい訳で、IT国家などと言って国を挙げて敷居を下げようとしているのだから、想像力が欠如した人間や儀礼的な無関心を装えない人間が出てくるのも仕方ないことだと思う。この点で、儀礼的無関心にも疑問がある。空間をどのように認識するかが人によって機能がずいぶん違うのではないか。物理的な距離がないに等しい空間について敷衍するのは難しいように思う。
参入障壁が低くなると、1)危険を認識できない素人が増える、2)空気を読めずに乱入する暴徒が増える、の2つのタイプの混乱が生まれることになるが、素人の参入障壁はあまり高くするべきではないとするならば、素人をシステム的に守る対策には需要があると思う。それがプロバイダサービス範囲オプションやウェブログ論争保険の発想である。ただまあこの発想は、「万が一、自分が無意識に書いていることがきっかけで暴徒が流れ込んできたらどうしよう」という不安に応えるものであり、考えなしに書き散らす行為を擁護するのは難しい。自分なりの意見を披露するけれど反論は聞きません、という態度があまり褒められたものでないことは確かだし、そういうネットの張り紙的利用ばかりが横行するのもいかがなものかと思う。
ちょっと考え不足で巧く言えないが、要点は、人間の意識に原因を求めるのはもう無理なんじゃないかということだ。

いーちゃん

なんか西尾維新というキーワードに反応があるようだ。いーちゃん大人気ですな。はてな世代に大人気。はてな世代のトップランナー。こういうフレーズはいかがだろうか。いーちゃんで一番びっくりしたのは、講談社の漫画雑誌にノベルスの広告が載っていたことだ。講談社の戦略について真剣に考えさせられた。と同時に、いーちゃん嬉々として読んでるとそう言うグループだと思われるのだろうか、などとまたもや自意識過剰差別的感慨を抱く。自分はミステリ読みであってラノベ読みではないのでー、とかそう言う類の自意識が自分には抜きがたくあるのだが、自分でもカテゴライズが不快であるし、いろいろ障壁になっているので(たとえば菊池秀行や田中芳樹上遠野浩平を読み始めにくかった)うっとうしいのだが、なかなか解放されない。それもこれも遠い昔の日々の思い出と結びついているので仕方ない。
いーちゃんといえば、ファウストそろそろ2号が出るようで。出たのかな?楽しみだ。1号は知人に貸したきり返ってこない。清涼院流水と編集長の対談がものすごいから是非読みたまえ、と押しつけたわけだがちゃんと読んでくれただろうか。あの対談は本当にすごかった。一言で言えば「うへぇ」。店頭で見かけたら是非立ち読みして欲しい。あれくらいのトバしたものを2号にも期待している。

遠方のブックオフ

 週末、所用で大変遠いところへ出かけたついでにブックオフを見かけたのでチェックした。宝の山だった。ほとんど行くことがない遠方だけに非常に悔しいが、もてる範囲にも限りがあるので文庫中心にだだっと買ってくる。
 山田正紀神曲法廷」、泡坂妻夫「奇跡の男」、今野敏「ST 警視庁科学特捜班 毒物殺人」、光野桃「ソウル・コレクション」、藤原規代「ぼくはね。1」、乙一「夏と花火と私の死体」、オーソン・スコット・カード「死者の代弁者 下」以上7冊購入。
 初めての作家の本はブックオフでは気軽に手が出せる。乙一はずっと気にはなっていたものの、流行に乗るのも恥ずかしいような気がして手を出しにくかったもの。自分にはどうもこういう通ぶったところがあり、我ながら嫌になる。広くいろいろ読んでこそ、読まず嫌いなどかっこわるい、とは思うのだが。乙一古本市場にじゃんじゃんでてきたみたいなのでやっぱり売れているのだなあ。自分の居住地近くのブックオフはかなり巨大で蔵書数もすごいのだが、砂漠のような品揃えなので、充実した店がうらやましい。ブクオフの品揃えはその近辺の住人が何を読んでいるのかをしのばせるような気がして面白い。うちの近くは民度が低いのだろうか。
 ところでずっと敬遠していた乙一に手を伸ばした最後のきっかけは、二階堂黎人の書評をめぐる騒動である。関係リンクは以下。
発端:http://www.sankei.co.jp/news/040104/0104boo011.htm 
   二階堂黎人乙一書評がどうも釈然としないぞと。
反応:http://d.hatena.ne.jp/kaien/20040104#p1 日刊海燕でのすっきりした反撃
   http://www.ltokyo.com/ohmori/040109.html 
   狂乱葛西日記1/5分。大森望のあまりすっきりしない反撃。というか業界人が業界人に書くこういう文章は、読者よりも自分のような傍観者を喜ばすだけような気がする。
   http://plaza.rakuten.co.jp/thomas7201/diaryold/20040205/ 
   面白いミステリを探して東奔西走! のまとめ。
   http://d.hatena.ne.jp/kaien/20040206#p1 ↑に日刊海燕がさらに反応。
   http://mystery.parfait.ne.jp/?date=20040512  
   Mytery Laboratoryのまとめ。コメント欄、特に愛・蔵太氏のコメントが秀逸に思える。
ということで、そもそもの発端から1ヶ月以上経過して、またもや乗り遅れまくってから気がついたというわけである。これ、盛り上がった原因は、書評自体の反論誘発性、二階堂黎人のキャラクタ、大森望の微妙な態度の反論(書評評とはとても思えない)、日刊海燕がよくチェックされているから、MysteryLaboratoryがよくチェックされているから、などの混合だと思うが、まあ寄与率は順にだんだん下がっていく感じだろうか。何が言いたいかというと、純粋なミステリ読者界の話題と言うよりは、ミステリ好き・ネットバトル好きの心をより引きつけているのではないかと。大森望「航路」ネタバレ掲示板にもその気配が見えてきわめて興味深い。もちろん自分もそのはしくれであるが、これがきっかけで乙一読書が始まるならば、もうけものと言えましょう。
 本体の書評については特にあらためて独自の感想はないが、やっぱり西尾維新舞城王太郎を「書かれている内容が、作者を中心とした身近な体験ばかり」というのはいくら何でも無理があるのではないか、に一票。むしろ非現実的なガジェットをあそこまでちりばめた両者の作品を読んでそのような読後感を持つに至っている、という原因を二階堂はよく考えるべきではないのか。あと人生経験や読書体験の少なさを年齢だけを根拠に推測するのは危険が高いので、「人生経験も読書体験も不足がちな《キミとボク派》作家たちの小説」などと簡単に言うべきではないと思う。

ST 毒物殺人

今野敏講談社文庫:ISBN:4062735393
先日読んだシリーズの2作目。1作目よりずいぶん面白い。やはり1作目の日本社会批評が自分にとっては鬼門だったようだ。赤・黒・緑(翠)・青に比べて幾分、超人性の低い黄色が主となるストーリーだが、主人公でいても黄色の超人性が目立たないという不思議。化学者と薬学者の職掌分担もまだよくわからない、僧侶と古武術という対照のほうが目立っている。超越能力で5人だから、五官だと思ったのだが違うみたいだ。この辺はシリーズなのでおいてある、のだろう。はぐれものの集団が異能を活かして活躍し、人々からの軽視をひっくり返す、というストーリーは普通に面白い。安心する流れだと思う。トピックにつかわれている物質とエピソードが、自分にはよく知っているものだったので謎解きの驚きはあまりなかった。ミステリと言うより冒険活劇という感じ。

ぼくはね。

藤原規代:白泉社花とゆめコミックスISBN:4592170725
花とゆめでたまたま読んだ漫画が気になったので、同じ作者の既刊シリーズである本書を読んでみた。母を亡くした父子家庭に、父の後輩という家政婦がやってくるが、それは家政婦ではなくて家政夫で……、という話。話自体はうまいと思うのだが、父と家政夫という男・男関係がどうにもこうにも気持ち悪くてギブアップ。この家政夫、男にする必要あったのだろうか。花ゆめで家政婦ものといえば「そりゃないぜBABY」という名作を想起してしまい、余計にひいてしまった。本誌で読んだ漫画は面白かったのだが…。続けて読めば面白いのかもしれないが、とりあえずは1巻でやめておくことにする。

ラブロマ

とよ田みのる講談社アフタヌーンコミックス:ISBN:4063143309
アフタヌーンでかなり気に入っている作品の単行本。受賞作だったのか、と。1話目の絵の雰囲気が全然違うのにびっくりした。2話目からは今の絵で、それもびっくり。「ラブロマ」こそ≪キミとボク派≫的たたずまいだよな、と思うが、当然、これも≪キミとボク≫だからと低く見られる要因はない。人間関係のでき方、所詮通じ合えない他人が通じ合うためにはどうする、という至極まっとうなテーマを考えさせられる。いいね。

はてなはホットスポットだねえ

ホットスポットとには「減数分裂時、組み換えが頻繁におこる領域」という意味もあれば、「生物多様性が高く、かつ、危機に瀕しているところ」という意味もあるわけだが(でもまあ後者のことは通常、生物多様性ホットスポットというように思う)。それはさておき。
バンギャ論争、逆ジェンダーエンタテイメント論争、儀礼的無関心論争、Google八分問題、はてなキーワード削除問題、ぐらいを押さえたと先週思っていたのだが、それでまだ間に合ってるのだろうか。で、前三者はからみあってて、後二者もからみあっている。自分陰謀論としては、さらにすべてがつながっているのだ!といいたいところだが、ちょっとこれはおいておく。あと、前者には「ベテランの若者」id:solar:20040201も絡ませたいのだが、吟味できてないのでこれもおく。
前者に関する限り、ホットスポットはてなNot a seriou woundであるなと。活気があってよろしいですのう、とじじいのような感想を述べる。
ところで、逆ジェンダーエンタテイメント話題を、id:hateneさんがこつこつ進めているのを遅ればせながら知り、ちょっと面白いと思った。ネットのうたかたに発散させるのも一つだが、このように一つずつ押さえていこうとするあり方には尊敬を覚える。そもそも、ちょっと気軽に「ジェンダー」言い過ぎなんでは、という疑問があるのだが、どうなんだろうか。時代は「ジェンダー」よりも「セックス」ですよ(嘘。そういえばセックスのキーワードで来る人もおられるのだが、期待はずしているだろうなあ。もうちょっと考えてから書くためにとりあえずここで止め。