秀逸だなあ

地雷犬さんのファウスト宇山インタビューに関するコメントが、しばらくにやにやしてしまうほど秀逸だったのでクリップ。
http://diarynote.jp/d/38638/20040727.html

部長と課長と飲みに行ったら、課長がすごい勢いで部長をヨイショしてる。
部長は確かにすごい人なんだけど、そういうのあまり好きじゃない。
でも、課長が満足するならいいや、って生温かい目で見ている。
課長は同席した自分を見て「ほらもっとてめーもヨイショしろよ」とかいう目で見てる。
部長はそれを生暖かい目で見てる。

やー、あまりにも言い得て妙。ほんとこんなんなんですよ、ファウストvol.3編集長インタビューって。ファウストなんか全然興味ない人でも立ち読みでこのうへぇ感を共有できると思います。さああなたもごいっしょにうへぇロンドを踊りましょう。
とはいえ自分個人はもはや、なぞらえて言うならば、上のような情景が度重なるにつれなんかおもしろくなってきて心のICレコーダー全開で課長のヨイショっぷりをメモりあくる日の同僚との酒の肴にしようとしているダメ社員、くらいかなあ。度が過ぎるとおもしろくなっちゃうことってありますよね。

絶句

http://news.goo.ne.jp/news/asahi/hito/20040727/K0027150707003.html

作家の中島らもさんが死去

 「ガダラの豚」などの小説で知られる作家の中島らも(なかじま・らも、本名・裕之=ゆうし)さんが
26日午前8時16分、脳挫傷などのため神戸市内の病院で亡くなった。52歳だった。

そんなのあり? つまらないこと書かなきゃよかった。
初めて中島らもを意識したのは、小学生の頃、朝日新聞の明るい悩み相談室だった。中高生の頃は文庫落ちするたびに買い集めていた。その後、エッセイから小説主体になってからはやや遠のいていたが、基本的には心の大切棚に入っている作家だった。アル中がひどくなったときも、大麻で捕まったときも甦ってきたので、階段から落ちたニュースを聞いたときにも、まーた死線をさまよいに行ってるのか、くらいにしか思ってなかった。なんとあっけないことだろう。なんだかんだいいながらぎりぎりのところで死なないと思っていたのになあ。野坂昭如よりも早いなんて。
もちろん年上だが、自分の読書歴にリアルタイムでかかわっていた作家であり、そういう意味でも亡くなるなんて信じられないしひどくショックな気分である。あーあ。年をとるとこういう思いをたくさんするようになるのかね。つまらんことだ。ショックなんだけれど泣き伏すような感じではなくて、あーあ、けっ、あーあ、というような感じ。でもしかたない。冥福を祈る。

ブログとブロッグ

日経なんちゃらとかを図書館でぼんやりよんでいると、「時代はブログだ!」みたいな記事があった。と書いたところで調べてみると、正確には日経NETWORK7月号「アクセスを増やすブログのしくみ」だった。違いすぎる。
閑話休題。ブログって正式な呼称なのかーと改めて思う。blog草創期騒動のときは、わりとたくさんの人が「ブロッグ」あるいは「ウェブログ」と呼んでいたように思う。対して「ブログ」というのはやや侮蔑的というか、揶揄半分、照れ半分のインフォーマルな名称だと感じていたのだが(発音も“ブログー”と“クラブー(踊る方)”のように平板な印象)、日経なんちゃらとか朝日なんちゃらにまで「ブログ」と載るようになったからには、もはや日本語名称としてはこちらの方が主流なのだろうか。
発音としてはなんぼか原語に近いのだろうが、当初のからかい気分を強く残す語だと思っていたので、ちょっと不思議な気持ちである。というか自分の巡回範囲がそうなだけで、世の中一般では最初から「ブログ」だったのかしらん。