はてなにいろいろサービスが増えてるようですが

結局のところダイアリーとアンテナしか利用していないのは、面白さを感じるまでいろんなサービスを試す余裕がないから。暇がないわけではなくて余裕がないのです。暇はあるぞ。仕事したくなくてデイリーポータルの過去ログ読みふけるくらいに。
まーそんな個人の事情はどうでもいいんだけど、ダイアリーのリンク元をチェックしていると、うちみたいなキャッチーではない細々ダイアリーでもb.やr.から来る人が見受けられるので世間ではかなり行き渡っているんだろうなと推測できる。とりあげられるとうれしいのでよく辿って見に行くが、ブックマークのコメントはリンクされて言及されるよりもちょっとどきっとするとか、某RSSで「カルチャー」カテゴリに入れられてるのを発見してびびるとか、自分では利用してないけどそれなりに新鮮な思いを味わっている。
で、rやbを利用する余裕がないというのには、今ひとつ面白さがわかんないというのも効いていて、ブックマークをソーシャルにするってようわからんなーというのは昔、孫ニュースサイトってようわからんなーと思ってたのと同じ気持ちだなあ。しかしブックマークはそうはいってもまだ理解できて、好きな人のクリップしているページをずらっと見られるのはなかなか面白い。
問題はRSSだ。RSSだけはどうも共感できん。職業柄、あるいは性格上、ひろーくネットに網を張り巡らせたい人に便利なのはわかるけど、ぼくらのインターネットに暇つぶしを期待している自分には、ローカルのブックマークからここそういえばどうなってるかなーと思いながらぽちっとクリックしたり、クリックしてみたらなくなってて呆然としたり、逆に見てない間に更新がめっちゃたまってて喜びあふれたりする、そういう過程まで含めて暇つぶしなのだ。なのでバルクニュースみたいにニュースをがさっと集めるならともかく、暇つぶし巡回範囲をRSSで取得しようとは思わないなあ。そもそもはてなアンテナですら更新チェックにしかつかってないし。はてな以外の巡回先は入れないようにしているのも同様の理由からなんだけど、なんではてなだけは入れてるかというと、はてなものは自分の中で同じ枠だから。アンテナが昔風のサイト構成でいえば「What's New」みたいな認識なわけだ。
以前、amiyoshidaさんが「ipodシャッフルと対極に位置する不自由さ」というフレーズを使っていた。出所はこのエントリ*1だけど話全体の筋とはずれるからここだけ抜き出すのだけど。このフレーズを読んで共感したのが不自由がいやじゃないし楽しいっていうのはあるよなってことで、その第一が自分にとっては巡回範囲を手でぽちぽちすることなんだよね。あとアンテナにしろRSSにしろ、元のサイトの体裁で読めないのがいやなんだけど、それは技術的になんとかなっちゃうかもしれないので根本的な問題ではないな。iPodがジャケを表示すればいいかどうかってのと同じだ。
もちろんこのエントリでいいたいのはRSS死ねとか廃止しろとかいうことではなくて、利便性は理解できるし有用な人も多いだろうなと思うけどそれは自分にはいらないなってことだけです。ちょっと不便だけどその方が気持ちいいっていうのは実社会ではままあることだけれど、web上だとこういう発想そのものに対する理解が薄い気がするのでちょっと言ってみたよ。ま、つまり、道具としてのインターネットかそれ以外かってことなんだろうけどね。

ゆっくり読む「教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書」 その2

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書
おお、ゆっくり読んでいたらこんなに日がたってしまった。でも引き続きゆっくり読むぞと。その1はこちら:http://d.hatena.ne.jp/urouro360/20050518#yk
さて第2章(1996-1998)。自分がインターネットを始めたのは1997年なので、この章から知ってる話が増えてくる。年表をつらつら見ていると、リアルで体験したサイト等は1998年あたりのものが多いようなので、1997年に始めながらも半年くらいは健全なサイトしか閲覧していなかったのかもしれない。自分がいつ健全でないサイトに耽溺するようになったかが今ひとつ思い出せないのだけれど。ただインターネットの厄介なところは、秀逸なテキストはすぐコピーされるしおもろいサイトにはすぐミラーが出来たりするところで、年表を見て「知ってる知ってる」と思っても、それがリアルタイムなのかどうかよく分からないものもある。閉じてしまったサイトには閉じた年月日について記載されていれば一層面白かったろうなと思うけれど、それはいくらなんでも作業量的に無理だろうなあ。年表で意外だったのは98年にぁゃιぃが閉鎖していること。もう7年も前か。え?そんなに前だっけ?という気持ち。あと小心者の杖日記に“ウェブ日記最後の砦”との言辞が献ぜられていたり、「ピュアガール創刊」に対して“ハイエンド”とコメントされていたりするところ。あれですよ、年表はデータの羅列かもと思って流してる人は損してますよ。年表もぐじぐじと読め、みんな。あと年表じゃないけど註で一番ビックリしたのはp.173の註19で「直リンク」に「じかりんく」と読みが示されているところ。「ちょくりんく」じゃないのか!知らなかった。
この章の年表の中では「ネットバカ一代」が引用されている。発表されたのはもっとあとなのでここで触れるべきではないかもしれないが、発表された当初、結構感銘を受けて一生懸命読んだ文章であり、懐かしかった。ネットの趨勢を個人の視点でぶったぎるという意味で教科書の前にはこれがだったよなーと思ってたけど、あんまりこれと教科書を結びつけて語る人がいないのは不思議。書いた人が1ch騒動で残念っぽくなったせいだろうか。単に「ネットバカ一代」をもうみんな忘れちゃったのかもとも思っていたけど、こちらは語り口系で「教科書」はデータ系だから連想されにくいのかもしれない。と書いてはみたが「教科書」だって十分語り口系だよねえ。今回好きだったところは、

その後ろ姿を横目でチラリ(舌打ち一つ)と見る度に、MP3はアンダーグラウンドからオーバーグラウンドへと舞台を移したのだなといつも思う。(p.178)

やっぱり文章がかっこいいよね。西海岸系web本だと思う。こういう語り口溢れるあたりとか年表でのお茶目コメントを見る限り、「正史」だなんて感じるわけない。朝日新聞文化面の感覚を疑ってしまう。読んでないんだろうけど。って、朝日新聞に載ったのなんて5/19の話じゃん*1!ゆっくり読んでるとネット話題に乗り遅れるなあ。
第2章後半はワレズの話なんだけれど、自分はワレズはやってなかったのでこのあたりはあんまり馴染みがない。ワレズをやってなかったのは興味がなかったのとスキルがなかったのの両方が原因なのだけれども、根底にはネットにそういうものを求めていなかった態度があるなと改めて思う。自分はくだらない文章、役に立たない文章、文字を通した喧嘩などを見るのが好きでネットにはまったし、今もはまりつづけている。なんでそれを自覚したかというと、ワレズ興味なかったしやってなかったのにそれに関係する出来事や人名に知ってることが多かったから。その原因を考えてみると「コンピュータ悪のマニュアル」とかを喜んで読んでたからだと思い当たった。当時も今もスキルは全然だめで、おぼろげに原理は理解しているけど具体的になにをどうやればいいのかさっぱり分からないというようなレベルなのだけれど、当時のハッククラック本には勢いがあって、書店の店頭でジャンク雑誌あさりをしているとものすごく魅力的だったのだ。そんで技術的なところは皆目分からないながら、書き手の語り口を楽しんだり、背徳の雰囲気を感じてうひょうひょとその関連の本を読んでいた。ハッカーカルチャーなのかもしれないけど、技術解説オンリーじゃなくて、語り口系の書き手が多かったんだよねえ。だからわからないながらも楽しめたし、買って損したとは思わなかったな。今でもきっと同じ書き手の人たちは同じように魅力的な文章を書いているんだろうけれど、世の中にぽっと「悪のマニュアル」が出た時の店頭での輝きぶりはやっぱりセンセーショナルでしたね。なつかしいなあ。
気になった誤字誤植。「四大誌→四大紙(p.80 右柱)」、「まだ速すぎた→早すぎた(p.176 下段)」
ではまたゆっくり読みます。次は第3章でーす。