はてなはひろいだけでなくはやい

というわけでバンギャル論争に気づいたぞなどと思っていると、もはや時代は「逆ジェンダーエンターテイメント」なのだ。誰かはてなダークマターを(略。
id:lepantoh:20040203に反応リンク集がまとまっているが、視点としてとても面白い。女性が書く女性向けホモパロの多くは男性向け漫画から題材がとられている。もし、好みの男性キャラクターどうしを絡ませたいならば、男性向け漫画ばかりから題材をとる必然はない。これはid:TRiCKFiSH:20040129にある、「萌え」と「感情移入」の分離から考えると理解しやすいような気がする。つまりやおいパロを求める気持ちは、主人公に感情移入しつつ、自分の中にある別の主体が主人公に萌えており、その萌え欲求を傍流であるやおいパロで解消しているのではないか。欲求度によって、友達との軽い萌え談で済むレベルから実際に表現するレベルまでの傾度があると思われる。
id:TRiCKFiSH:20040129を読んでいて気づいたのは、「ジェンダー」について語りながら「萌え」を語っている点。「萌え」についてどうこう言い出すと長い上に決してまとまらないとは思うのだが、自分は「萌え」には「ジェンダー」でなく「セックス」の問題もあると思う。以前よく行われた解釈に、男性向けエロに見るレズはおかずが2倍でおいしーい、という感覚が強いのに、女性向けエロにみるホモは女性性の嫌悪(今の話題でいえばジェンダーへの嫌悪)である、というものがあった。自分は必ずしもこれには賛同できないが、やはり「萌え」を語る以上、その「萌え」で性的欲求が満たせるのかどうかについても気になるものである。女性が女性向けエロで“抜く”ことが少なかったのは、単に2次元で“抜く”という性的文化経験が男性向けに比べてきわめて少なかったということも指摘したい。初期のヤオイ論時代にくらべて圧倒的に女性の性意識が拡大した現状では、また違う側面が出てくるのではないかと思うのだがどうだろうか。