セはセカイのセ

○○がセだとか○○は非セだとかいうことはくだらないうえに流行遅れです。金魂巻って本が昔あってですね、それでマルキンマルビなんてことばがはやりました。フォントが出ないのでアレですが、金とビをまるで囲ってください。ま、そういう感じがするわけですよ。セだとか非セだとか言う行為には。スキゾ/パラノ、でもいいし、スクエア/ヒップでもいいんですが、レッテル貼りを趣味としてたしなむ人々は悪趣味ではありますが“わかってる”気がするけれど*1、なんか真剣に線を引きたがっている人を見ると、渡辺和博のもとで修行してこい、みたいな気分になります。そういうわけで、セ/非セのナンセンスゲームから、大好きな作家の皆さんを守りたいと思うのも、独善的とは了解しながらも、自然なことでありますのことよ。
そんで、マルセ(しつこいようですがまるでセを囲ってね)に組み込まれそうな西尾先生の戯れ言シリーズですが、

「たとえばあたしを殺してみろ。安心しろ、それでも世界は何も動かないよ」

というようなフレーズがあるんですよね。これって、西尾先生はセに対して斜に構えてるってことになるんじゃないかなと思います。つまり西尾先生は確信犯でセなのではないかと。セであらざるをえないアーティストの自意識と、セを突き放してとらえつつセを描いてしまう自意識はずいぶん違うものだと思います。というわけで、西尾先生はセじゃないやい!と大いに言わせていただきたいと思います。 

*1:すぐさま自分でレッテル貼りを開始したので恥じて抹消