参考資料

google:東浩紀 小川びい
一応ここに出てくる記述は全部読んだ。“Google使えれば評論出来ると思ったら大間違い”ではあるが、まあ内容からしてネット媒体上の記述を全部読めば何となく雰囲気もつかめるんじゃないかなと思う。
で感想だけど、内容について語っている記述もあるが(セーラームーンをどう位置づけるか、のことね)、扱う手つきのずさんさ/軽薄さに疑義を呈している記述もないではない。うーん。もうこういう人だとおもって諦めろ、ということなのかな。個人的には、それも芸のうち、という理解に落ち着きつつある。少なくともセカイ系の語意とか定義よりも氏自身のありようの方が圧倒的に面白いことは間違いない。
追記)セカイ系についていまさら語ることの時代遅れぶりに恥じ入っていたが、この手のロジックによる東浩紀批判も時代遅れだと実感しますます恥じ入る限り。しかしテンパりぶりがなんら変わってないのを見るにつけ、この人はきっとドリフのようなお約束コントを演じるのが好きなのだと思うことにした。今後、東さんが似たようなテンパり→だだもれを起こした場合は、しむらー!うしろ!うしろ!みたいな態度でつきあうのがいいのだろう。とは言え、うへぇ愛好家としてはそれでよいのだが、氏の批評家としての悪質さはやはりきちんと批判されるべきだと思う。ここはやっぱり「ヒガシヒロキの大研究」が熱望される。唐沢俊一に期待。
参考:http://www.tobunken.com/diary/diary.html (裏モノ日記)
まさかネットの無名の雑記にあそこまで過剰反応して、記名の有名人のここまでの当てこすりに無反応と言うことはないでしょうね?どちらが言論人としての評判に関わるかはいうまでもないと思いますが。それとも「降りる自由」ですか?(もっとも氏のテンパリ記述には憤りのソースが明記されていないし、唐沢氏の記述にはただA氏とあるだけなので、一はてな子が邪推するような関連があるとは断言できません。悪しからず。)
さらに追記 21:08)ネット上にはid:motidukisigeruをはじめとしてまとまったリソースがある。ネットを利用する人で多少なりとも疑いを抱く向きにはいくらでも自分で判断できる。それに比べてネットでないところに批判的検証が少ないのではないかと。一方で、世代間断絶をつなぐつもりがあるのか、東がおじさん主体らしい論壇むけに「ネットはこういうところでこういうよいとこがあってでもこのへんはだめで」とかいってる割に、わかいもの主体らしいネットではヤツわかってないなーと言われつづけるという空虚さが妄想されてどうにも気持ち悪い。この項、完璧に印象論でデータないので悪しからず。デマだし妄想です。あと一部で「東浩紀村」とも目されるはてなで普通に批判しちゃって悪かったなと思った。はてな子になったのは自分の方があとなんだから、そりゃ気分害するよね。ゴメンネ!