自動リンクで捕捉されて

http://d.hatena.ne.jp/kitano/20040407 でkitanoさんがあるキーワードで自動的にひっかかってくるのを集めたら、もうコメント欄がえらいことなってて。kitanoさんがこれに“ケダモノ”みたいな前文をつけている(ちゃんとよめばそれが前文でないことはわかるけれど、順序が並んでいると言うだけで前文と思ってもまあ仕方ない)という、そこに反応しているのはわからないでもない。けれど自動リンクから抽出されることそのものをいやがる姿勢はようわからん。リンクで抽出されるのがいやなら、キーワードリンクキャンセルすればいいだけだと思うのだが、文章アップロード時のリンクキャンセルだけだと残ってしまうのかな?まあ今回については、キーワード設定が後からだったので、キーワードリンクされると分かっていたらそうは書かなかった、というのかもしれないけど、それだって検索にはひっかかるんだろうし。この間に当事者にとっての閾値があるのかもしれないが、その違いは自分には共有できない。はてなページランクって無意味に高いからさー。
リンクされて煽られて、ついには暴徒が乱入してきて困るとかならまだ理解できるが、たんに並べられただけでそこまで沸騰するのは実に不思議だ。まあいつもの話だが、webにアップロードする限り、言いたいことだけ言うというのは難しいのだ。もちろん自分だってコメント欄に暴徒が乱入してきたり、ソシャルかけられたりしたら嫌だけど、見物されること自体は仕方ないなあと思う。見物されることのイヤさと、ハイパーリンクの出会い頭のおもしろさを比較すれば、自分にとってはメリットの方が上回っている。
儀礼的無関心のドグマのイヤさもここにあって、ハイパーテキストの利点を享受しておきながら、自分にだけそれを回避させる呪文にしか思えないんだよなあ。つっこまれるようなこと書かなければいいことだし、書かれても無視すればいいだけなのだ。ブログにはコメント欄などのコミュニケーションスペースがあるから、無視しにくいかも知れないが、それだって書き込み制限を設けるとかなんとかその辺の対処ですればいいわけで。あとリンクされたくなければ、普段読んでくれている人でなければ誤解を受けそうな表現だからあまりリンクしないでほしい、と言えばいいだけであって、なんで「儀礼的無関心でお願いしマース!」とか言わなくちゃいけないんだ。くだらない。まあ実際には“言わなくちゃいけない”わけじゃないけど。ちょっと酔っているので論旨がめちゃくちゃになってきたので整理すると(というかそもそも酔っぱらって書いた文章をアップしてはいけない)、
1・自身が「儀礼的無関心」を発揮してリンクしないのは勝手にすればいい
2・読まれる側が「儀礼的無関心」を要求するのは、それはもはや「儀礼的無関心」じゃない。
3・自分の立場の説明として「儀礼的無関心」を使うのは構わないが、無視されても仕方ないだろう
4・とはいえ正論を振り立てて突入するのは愚かで救いようがない
こんなところか。第三者、などという人は無視して構わないと自分は思う。第三者の利益、なんて把握試用のないものにまで気を配るのは傲慢というものだろう。webの楽しさはハイパーリンクと相互性だ。リンクを辿る楽しみを共有するならば、いたずらにリンクを避けるべきではないと思う。ま、「べき」論なのでそれだけのものにすぎませんが。
ふと思う。もしかして「つっこみ・つっこまれ」が愛情あるコミュニケーションだと思っている関西人だから、つっこみ嫌うなよ、って思っちゃうのかしらん。