本と中国と日本人と

高島俊男ちくま文庫本と中国と日本人と (ちくま文庫)
先日の日記でもふれた高島先生の本を、今日読み終わった。この本は高島先生曰く「中国にかかわる本をタネにしておしゃべりした本」であるが、よい書評がそれ独自で素晴らしい読み物になるように、ブックガイドとして一流であると共にエッセイとしても上質である。厳密に言えばブックガイドを志して書かれたわけではないので、次第にタネ本に興味を抱かされる、というすぐれたエッセイであるといったほうがいいだろう。
高島先生はそもそも中国研究者であられるため、この本の中にはご自身が信奉する先達の本も出てきて、こういうところが素晴らしいああいうところに感銘を受けたと述べておられるが、自分のような中国文化文明に疎いものにとっては、そのようにして先達を紹介する高島先生の文章に中国や支那について目から鱗という思いをすることになる。ところで支那って本当に変換できないんですね。今初めて実際にやってみたけれど。
高島先生の文章のおもしろいところは、以前にも書いたとおり、ほめるところよりもけなすところなのであるが、人や書物をめっためたにけなして下品でないのは、きちんと書名や人名をあげどういう理由でどこがけしからんかをはっきり書いておられるからである。人をやっつけるときにはかくあるべし、という見本のようですらある。これを逆にーつまり誰のことやら曖昧に、しかしわかる人にはわかるように書き、根拠を示さず読者にね、ダメでしょう、と言わんばかりに書く文章が時にあるが、まったくもって下品きわまりない。最近の雑誌等の文章では、どうもそういう印象を受けることが多いがあまりいい趣味ではないなとよく思います。もっとも、下品すれすれのギリギリのところでいやみを効かせる、一流のいやみ文章というのも世にはあるので、そこまで届くような技があれば別である。本書の中では平凡社東洋文庫岩波新書や文庫がたっぷりけなされていますが、その理由はきちんと説明されており、そのなぜダメかの解説がまた勉強になるのである。
あとがきで先生は「どうか、筑摩書房さんにあまりはなはだしい損をかけない程度に売れてくれますようにー。」と念じておられるが、奥付を見れば自分の買った本は第二刷のようで、なかなかどうしてよく売れていることがわかって読者としても安堵至極である。高島先生の本がもう出ないなんてことになったら困りますからね。