何か書こうとしたところで

自分がオリジナルに素晴らしいことを書く確率よりも、それについてうろうろしている際に、ああうまいこと言い当ててるなあという言説に行き当たる確率の方が大きい。それはここで書くことへのコスト投下の問題で、技量に対して小規模なコストしか投下してないからあんまり胸を張れるようなことは書けないんですな。当ダイアリで少なからず意味のあるところは読書記録と東先生フツカヨイ考ぐらいである。あとはまあ、もっとうまいこと言ってる人がいっぱいいるだろう。エントロピーを増大させているだけの屑だ。屑という自覚があることと、それについての価値評価は別だけれどね。屑だから面白いとか、屑だからいいんじゃないかという語りは成り立つと思いますよ。
それはさておき、あらためんて善良な市民と青木摩周のスペイン宗教裁判を読んでいたらかなりすっきりした。セカイ系とかオタク評論についてである。とくに印象的な部分を抜き書きしておく。ざらっとした自分用抜き書きであるのでオリジナルとは別物です。ご注意を。

セカイ系について)
○:でも、正直な話、90年代的な自意識過剰文化のオタ市場での展開にすぎないんじゃないかって思います。
 岩井俊二やJブンガクとどこが違うのか?といったら同じですよね。
(オタクについて)
○:岡田斗司夫が「オタク」を擁護したときはポジティブな意味での「趣味人」ですよね。//
 斉藤環は「アニメ絵で抜ける性癖の持ち主がオタクだ」といった。
 岡田さんが指摘した「オタク」と斉藤の言う「オタク」は大きく重なっているでしょう。//
●:オタクという言葉の奪い合いみたいな印象は受けます。
 なぜそうなっているかというと、分化したそれぞれのトライブなりスタンスなりを、うまく表現する言葉がまだないからでしょうね。
(オタク評論について)
○こういう話って評論だの言論に「癒し」を求めてるなら無視した方が幸せになれる現実でしょうが、私はそうじゃないので指摘します。
 勿論、彼等だって分かっているでしょう。しかし、そこで開き直ってテキストサイトの海の中でタコツボをつくり、外界から遮断され
 ることで「俺たちは悪くないよな」と慰めあう情況は不毛です。
 ファンの不毛な馴れ合いがもっとも文化を凋落させることは文学が証明したばかりじゃないですか(笑)//
●たぶん東浩紀は、第三世代を自分の分身のようには感じてないんじゃないですか?
 頭では理解できるけど、彼らのように無邪気に萌えることはできない……
 といった疎隔は感じてる気がするんですけど。動ポの謝辞とか読むと。
○そうですね。でも、彼のギャルゲーやアキハバラへの言及を見ると結構本気で好きなんじゃないかって思うんですよね。
●でも彼の萌え方って、たぶん第三世代の連中にはついてけないでしょうね。
 てゆーか彼の萌え方は、誰にもついてけないんじゃないか(笑)。//
●たぶん彼はギャルゲに対してもそういう意味不明な萌え方をしてるような気がします。「メタ構造たんハァハァ」みたいな。