サイゾー 01Jun.

特集は“ニッポンのタブー”。惹かれて買ってみたがぬるい。この内容で690円は高い。新潮45の下世話路線の方が性に合っていると再確認。
http://www.miyadai.com/index.php?itemid=98
これと同じ内容が宮台・宮崎対談に載っていた。内容はおくが、宮台はともかく宮崎のしゃべり口調に呆れた。口語的表現で「顧慮する」とか「寸毫も」とか言う人も珍しい。あと冒頭でさらっと

宮崎
 イラクでの法人人質事件の報道には、古くは丸山眞男小室直樹山本七平が、
そしてその衣鉢を継ぐ私たちが指摘し続けてきた日本という鵺のごときシステム
の脆弱性が露呈しましたね。
  「m2 われらの時代に」サイゾー 04年6月号 110ページより

と述べているが、小室直樹先生は現役じゃないのか?あと宮崎が丸山眞男の衣鉢を継いでいたとはしらなんだ。ここはまあ別にいいんだけど最後の方でちょっと驚いたのが以下。

宮崎
 まったく異議なし。ああ、頭のいい人としゃべるとフラストレーションが解消
するねぇ。私はここ1週間くらい、ずっとバカ相手に話してきたからさ。ほとほ
と嫌気がさしていたんだ(笑)。
  同上 113ページ

宮崎…。いや自分は宮崎哲弥をかなり買っているつもりなんだが、なんでこんなことあえて載せるかなあ。脇が甘いというか言ってるほうがバカみたいというかいきがった中学生チックというか、こういう表現は削れよ。校正で。本心からそう思っていたとしても、ここでこれを字面で表現することの意義がどこにあるんだ?対談全体の流れに関係ないし、読者にバカにされるのは氏自身だということに気づけ!宮台に手玉にとられてる宮崎、という印象に近いよ。
それ以外でも、この一文を付け加えることによって、せっかくの対談が文化人が戯れに世相を語ってみるだけ、という印象になりかねない。もったいない。政治的アクションにつなげたいならこういうことは言うべきではない。読者はバカじゃないということを明確に知らしめながら、世の中バカばっかりですね、といえばギミックだけど、これじゃあ宮台サマ!そしてオレ!というメッセージでしかないからなあ。政治的信条として宮台ー宮崎みたいな軸に期待しているので、あんまりうかつなことはしてほしくない。宮台のパフォーマーとしての側面を吸収できるといいね、宮崎先生。