新潮45 04,7月号

巻頭特集は「『皇室』のすべて」。女性天皇問題について、制度問題として論じるべきではない、個別具体的なある個人の人生をどうするかという問題、という指摘になるほどと思う。今号気になった記事は、兵頭二十八先生の「ジェンキンズ軍曹に見る『脱走兵』の研究」と浜田和幸「最新仰天情報 アメリカ大統領選の真実」。前者は軍隊的観点にとって脱走兵ってそうそう許せるものじゃないんですよ、という解説。当たり前だけど時期的にどんぴしゃ。後者は要するにブッシュが精神イカレテルというネタ。キリスト教原理主義はなによりもタチが悪い。
曾野綾子。自分は新潮45をすすんで買って喜んで読んでいるが、どうしても曾野綾子だけが受け入れられない。最初は保守とかリベラルとかそういう政治的スタンスの問題かと思ったが、どうもそうではなくて、曾野氏のPTA的ともいいたくなる自身への無謬性信念みたいなものがなんとも苦手なのだな。今号ではイラクから女性教師を招いて日本を案内した話が出てくるのだが、イラクは気の毒でイスラム教は男女不平等で…etc.という動かしがたい感覚があるのだなあと読んだ。たとえば伊勢神宮を案内した箇所で(新潮45 7月号 pp.29)

 しかし彼らが感動したのは、圧倒的な神宮周辺の森の深
さだった。新緑はこんもりと生き生きと、それぞれの個性
的な緑の色を吹き上げるように合奏している。イラクの
人々はこんな緑、こんな水を今までの人生で見たことがな
かっただろう。自爆テロを志願すれば、死んだ後の天国で
ご褒美として味わえると約束されたまさにその緑と清流
が、目の前に拡がっているのである。

イスラム教徒であり戦乱で疲弊した国から来るイラク人に日本を見せるのに伊勢神宮へ連れて行かねばならないと考える発想も自分には縁遠いが、つれていって五十鈴川べりを見せてこういう感想を抱くのもすごい。これではおもちゃをみせびらかす子供と同じだ。地理的位置が違うのだから自然環境が違うのは当たり前で、砂漠の暮らしは苦しいが日本の湿潤な暮らしが苦しくないわけではない。たとえば日本の環境下で稲作農耕をするとしても、草ひき・台風・水争いなど自然のためにする苦労は今でもある。インフラの整備度その他の違いによる暮らしにくさの違いはあるだろうが(そして戦争はインフラを破壊するものだが)、自然環境から受ける先天的な暮らしにくさは比較できない、というか相手がそれをいいなあと思ったところで取り替えることはできないし見習いようがないのではないか。文脈からみてこの話は次の節へ続くのだと思うが、

私はこうしたお客の受け入れを「一粒の種子」だと思っ
ている。私たちは、ただの一言も、民主主義礼賛も、男女
平等共働の意義も、植林の必要も、勤勉の尊さも、異なっ
た宗教がお互いに寛大に共存し合う自由も、海山の幸を何
でも豊かに口にする幸福も、宣伝しなかった。ただ黙って
充分に見てもらった。

いや植林とかそういうことじゃないから、というしかない。あとイラク人にいわなくてもここでこう書いてしまったらいっしょではないかとも思うのだが、曾野氏的にはそれは違うことなのだろう。文化多元主義は万能ではないし功罪はあるとは思うが、やはりイラクにはイラクの文化があり社会様式があるのだから、見て帰って役立ててもらうとすればまずは実務的なテクニックや技術ではないかと思ってしまう。しかし曾野氏はまったき善意でこういう行動をとっているのだろうな、という感想も同時に抱く。まったき善意で、それが素晴らしいと信じ切っている人にどういえばいいのだろうか。母親や父親に説いて聞かせるような無力感をおぼえる。せいぜいイラクの人たちが、彼女の善意による支出をうまいこと利用してほしいと祈るばかりだ。
ところでイラクバース党が長年政権をとっていたから、アラブ圏ではもっとも西欧に近い社会だと思っていたのだがちがうのだろうか。