曾野綾子には本当に唖然とする
monotone経由;http://d.hatena.ne.jp/haikyo/20041025#p3
曾野綾子が産経に書いたコラム:http://www.nippon-foundation.or.jp/org/moyo/2004596/20045961.html
ダム、堤防、山の植林、などというものは、治水の基本であり、治水はいつの時代でも国家経営の条件だ。 それを否定した人は、どういう責任を取るつもりなのか。そうした計画は政府がすべて大手ゼネコンとつながりを持つための1つの手段としか解釈せず、 山も川も、自然に任せるのがいいのだ、などという「暴論」を載せた新聞や雑誌も多かった。そうしたことを書いた人たちと、載せたマスコミは、 こういう際にこそ、発言に責任を負うべきだろう。 もちろんダムも堤防もむだは厳しく省かねばならない。しかし必要な個所には新設も補修もやらねばならない。当然のことだ。 ダムは認めるか認めないかのどちらかだ、などという思考ほど幼稚で困るものはない。作ったダムは長く使えるように後の手入れも続けねばならない。 放置しておいて「ほら、ダムってこんなにも保たないものなんだ」という言い方くらい、納税者をコケにしているものはない。原発にも火力発電にも、 それぞれに問題がある時に、水力発電所は、貴重なクリーン・エネルギーであるはずだ。
曾野綾子にいろいろ言ってもしかたがない、というか、母親にものごとを教え諭す的無力感を感じる、というのは前にも言ったが*1、まさか災害時につるっとこういうことを書ける心性だとは(なんか田中康夫チックな書き方だな)。すごいな。
とりあえず治水と利水は目的がちがうということを理解した方がいい。治水目的と利水目的を兼ねた多目的ダムというのをつくるのが主流ではあるが、本来、治水と利水ではダム操作が違う。多目的ダムにすると利水目的のために一定以上放水できないなどの規則がある場合もある。
また水力発電についてのくだりだが、新潟・信濃川流域の発電所のうちいくつかは、山手線のために働いているのを知らないのだろうか。知らないんだろうな。
http://joetsu-line.web.infoseek.co.jp/gaku/history/shinanogawa~plant.htm
http://210.131.8.12/~shinano/think/mizukan/shusi_2.html
JR東日本の自前の発電所は信濃川流域の今回地震被害のあった小千谷周辺にある。首都圏のラッシュアワーに対応するための発電所だ。発電のためにダムで取水され信濃川本流の流量が低下し、河川環境はもちろん地下水涵養が悪化している。そういう電気は都市へ・迷惑は地方へ、みたいな構図を考えると、「水力発電はクリーン・エネルギー」で切って捨てていいのか、とふつうは思うだろう。でも思わないんだろうなあ。
後段はさらにすごい。
学校その他に避難した人たちは、ラベルのついた新しい毛布を支給されていた。一晩のことに何でそんなに甘やかさねばならないか私はわからない。 避難したら新聞紙を床に敷いて、何枚も重ね着をして眠って当たり前だ。それがいやなら、早めに毛布や蒲団(ふとん)を背負って避難するだけの 個人の才覚の訓練が要る。
とりあえずこの人の家だけに直下地震を起こして観察してみたい。
ただ住民の自治意識の低下という一点のみについては同意できないこともない。ちゃんと計算してみないとわからないけれど、ダムとか大がかりな支援や備蓄とかにかけるコストを、住民組織(水防団とか)づくりとか住民のリスクコントロール徹底とかに振り向けるほうが効果はあるかもしれないなあとは思う。絶対に決壊しないダムはつくりようがないから。でも曾野さんは住民自治のために行政コストを投下せよ、とは思ってないんだよね。行政はダムを造り、住民は自腹で自治意識を高めよ、と思ってるようだ。これはやっぱりちょっとずれてないかなあ。小さな政府って財源委譲とか地方分権とセットで来るものであって、家父長制国家を指向しながら、でも困ったときは自分でなんとかしろよっていうのはむかつく。施政者にとってはラクだろうけど。
つらつら考えるに、この人の需要はこういう暴論をこのタイミングで堂々と署名入りでいうところにあるのだろうなあ。産経新聞が社説でこれをやったら顰蹙きわまりないだろう。そんでこの人はやっぱり、おかーちゃん的ものわかりの悪さと頑固さがあるので、良識に糾弾されてもなんとも思わないつよさがある。無敵だ。おかーちゃんが家で言ってるだけなら構わないんだけどねえ。