Do It Yourself

朝からグレープフルーツの果汁をキーボードにぶちこぼしてしまい微妙に鬱。酸にとけるかと思った、ってどんな果物だそれは。さわやかな朝の陽光の中、グレープフルーツの芳しい香りのもとで妄想爆発二次創作愛好者について考えてみよう。以下、腐という言葉を多用しているが、いいアイコンを思いつかないから多用されている形容をもちいるだけで、漢字そのものが持つネガティブなイメージについて他意はないのでひとつよろしく。
昨日のコメント欄*1・トラバにみる腐なお姉さま方の応答はかなり面白かった。やっぱり「設定があれば一ヶ月は軽い」の世界はオドロキだ。自分はサイドストーリーものとかパロディものが好きだけれど、設定だけで妄想をたくましくすることはできない。自分のこれまでの二次創作読書は、二次創作家のストーリーを愛していただけなんだなと気づいた。だからemifuwaさんが妄想をたくましくしているさまを読むのはものすごく面白いし充実した体験だ。
ちょっと直接対象を明らかにしてしゃべるのでキモイかもしれんが、自分はemifuwaさんのおお振り語りがかなり好きなので、アフタ本誌を読む時、しらずしらずのうちに「この辺は萌えどころかな」とか「これはサービスカットに違いない」とか考えてしまうのだが(ほんとにキモイな すみません)、先月号の抽選会場とか今月号の泉浜田とかはある程度予想の範囲だったが、千代ちゃんのデータのあたりはほんっとにまったくちらりともそうは思わなかった。データの向こうに桐青が見えるという視点に心底おどろいた。腐のマジックアイ。なので面白いと思ってそこを切り取ってクリップしたのだが、それに対してXQOさんもハラさんも「そうそう」と同調されて、もうさらに一層びっくりですよ。
腐ってDIYだな、と思った。そりゃ自分にも先を予想することはあるし、おお振りで言えば桐青についてこういう感じかなという思いはあるけれど、それはあくまでも「早く来月にならないかな」という流れのなかでの次への期待であって、その予想に対して萌えることはほぼない。また同じく、自分にも萌える瞬間はあるが、提示されたものに対する鑑賞として「萌え〜!」という感覚があるわけで、自分で素材を集めて自分の萌えをつくることはない。これは単に創造力がないだけと言うよりは、そういうことをしている自分がキモイというのがあって、どんな二次創作でも読むのは全然平気なのに、いざ自分がキャラクタを動かそうとするとそれがどれほどささやかなものでもそういうことを考える自分がキモく思えてしまう。同人誌とかそういうのにふれる機会がなかったわけではないので、こう感じる理由は親しみのなさとかではないだろう。トラウマというか規範意識というか自分の中の話なのかな。ある意味で自意識過剰なのかもしれない。
うーん、自分はアレだな、二次創作に対する態度自体が総受って感じだな。オリジナル作品もナイスな二次創作も、どちらに対しても受け身。面白いものを貪欲に求めるだけで、自分から面白さをつくることはない。でもオリジナルに物足りないところやもどかしいところは感じるので、自分の嗜好にぴったりする二次創作が間を埋めてくれるのは大歓迎。マグロ読者だなー。
ちなみにキャプテンとプレイボールでは谷口とイガラシが好きなので甲乙つけがたいけど、どちらかといえばプレイボールかなあ。谷口が怪我をおして投球するところがいいな。あと言問戦が非常に好きだ。「言問」という地名もこれで覚えたようなものです。
書き忘れ:
というわけで受体質なので同人誌つくるの無理です! 頑張ってお金を使う側にまわるよ!