こないだのつづき

どのへんがすれちがってるか分かってきたので、自分のためにめも。
http://d.hatena.ne.jp/emifuwa/comment?date=20041201#c このへん参照
「emifuwaさんにびっくりした気持ち」=腐感受性+表現力

  • 腐感受性
    • 「データ」=打率、好きなコースetc=純粋に野球するうえでのデータ
      • uro属性(1) 野球に慣れてない→野球データから想像できない、ピンとこない
      • uro属性(2) 数字・スペック嫌い→(e.g. 頭文字D読んでも車の性能に興味持てない) 

i.e.「データ」を受け止める能力の問題
⇔能力不足を補う気はないというコスト認識(ハマリ度によっては乗り越えられる?)

    • 受け身
      • 待ってれば作者が言うだろう
  • 表現力
    • 待ち望んでいる人ならではのイイ感じ
    • 作品中の場面とのぴったり感

というような異なるレイヤーの総体として「びっくり」したわけだけど、データ(⊂感受性)のところは一定の普遍性があったので、なぜそんなに驚くの?という問いが返ってきたと。「データ」とか「設定」という言葉を定義せずに用いていたので次第に話が拡散したが、ここでは具体的なあるマンガのある一場面についていっていたわけで、そもそも「データ」は「桐青野球部のデータ」のことだったから、自分のオドロキはより正確に言えば「数字・スペックから想像すること」へのオドロキであった。けれどここへのオドロキは、野球のデータへの不慣れ+スペックへの不慣れという、自分の個人属性が大きく作用していた気がする。
むしろ:その辺から拡張して右脳オタ・左脳オタとかの解釈可能?(e.g. ストーリー性を欠いたデータから情景・人物を想像して萌える能力⇔ひとことの台詞から関係性を類推して萌える能力)
あと後段の表現力の問題をなぜか途中でぶっとばしてしまっていた。そもそも最初見た時に「そのデータが欲しいなと思いました」みたいな文章であれば、へーとは思ってもクリップしようとは思わなかっただろう。いまそこに雑誌があるような臨場感とか千代ちゃんが作中でデータを渡して倒れ伏すとことの重なりとか、文章の喚起する力が大きかったからこそのオドロキであり、そこを抜きにして感受性云々の方向へ途中でそれてしまったのは失敗だった。分析的に言えばこんな感じかな。