中国抗議デモをめぐるあれこれ

仕事したくないのでネットで時間つぶしをしていて、そういえば中国の反日デモについてさぞ2ch界隈では盛り上がっているだろうなと思ってそのあたりをうろうろしていたら、次のようなサイトを見つけた。
中国抗議デモ計画経過を追う
ちょっと入り組んでいるので現物を見てもらったほうが早いのだが、簡単に説明すると、2chで「中国に抗議するデモ」を計画している人がいて、それに賛同する人たちが集まったが、首謀者の態度があやふやなので疑問に思い、首謀者の連絡先(メールアドレス)をgoogleにかけてみると、なんと“プロ市民団体”に関連があった!→だまされかけた!という騒動があり、それを記録したサイト(ブログ)である。
基本的に2chに関する政治ネタを扱うことはむなしいのだが*1、それでもこの経過はちょっと興味深く思う。
最初に断っておくが、自分は政治思想的にはリベラルで、態度としては消極的である。中国むかつくなーとは思うけれど、同じくらい小泉や靖国云々もむかつくなーと思うし、よほどのことがない限りデモには参加しないと思う。特に消極的傍観者であることは民主主義的によろしくないと認識しているので、第三者的傍観は行動的嫌中嫌韓以下といわれてもしかたないなとは思っている。なので思想的あるいは信条的にはこの問題について否定も肯定もしないし、できる立場にもない。したがって、以下に述べることはそういうこととは切り離しているということ、また今回の件を例に挙げているが基本的にはここしばらく2chについて考えていたことの総体であり、今回の件は一事例として取り扱っているということを理解いただきたい。また基本的に上記まとめサイトを参照しており、元となるスレッドそのものにはあまり当たっていない。したがって事実関係については誤認や誤解の可能性があるため、できれば読者のそれぞれが、上記サイトや関連情報を参照した上でお読みいただきたい。

この問題を追っていて、まず感じたのは強烈な違和感だった。それはまとめサイトの冒頭にもある「2ちゃんねるプロ市民団体によって利用されかけた」という切り取り方についての違和感である。丁寧に経緯を追えば、義憤を感じている人々はおそらく、「プロ市民」なのが問題ではなくて、「プロ市民であることを隠して」計画を進めたのが問題である、とか、「参加者の質問や意見に対して真摯に対応しなかった」のが問題であるのだというふうに認識していると思われる。そういういろいろな経緯の末に上記のような文言が出てきたのだろうとは推察されるが、冒頭にいきなりそう書いてしまうと、プロ市民2ちゃんねるを利用した!けしからん!という風に読めてしまって、ものすごく偏狭な物言いに感じる。プロ市民2chを使ってはならないかのごとき言いようは、すごく差別的だ。2ちゃんねるってそういうものなのだろうか?表では言いにくいような不謹慎な発言も許容される、有象無象の入り乱れる良さ・面白さが2chの特色であるだけで、反中・反プロ市民基地として作用しているがごとき言い分には強烈な違和感を覚える。またこれほど多数の掲示板群を抱え込んだ今、「2ちゃんねるが」と一般化して訴えるのは不適当ではないだろうか。利用者でありながらこの騒ぎを知らない人も多いだろう。ノンポリの一利用者としては、勝手に主体を拡大化しないでくれよと強く思う。しかしながら、ここで「2ちゃんねるが」または「2ちゃんねらーが」を主語に据える観念は興味深い。念のため申し添えると、まとめサイトのほかにも当該スレッド内や各所の宣伝コピペでこういう用法を見かけた。したがって、実際に何人が関係しているのかわからないが、この活動に携わっている人々にはこのような気分が一定の度合いで共有されていると思われる。彼らが躊躇なく「2ちゃんねる」を主語に据えられるのはなぜなのだろうか。
それと関連して興味深く思ったのが、「だまされた」という感覚だ。たしかに、善意で協力した自発的な運動が、その実、なにかの思惑の上に存在することがわかれば不快だろう。しかし、そもそも匿名掲示板、それも2ちゃんねるで呼びかけられた運動になぜそこまでの信頼を抱けるのかが非常に不思議だ。先ほどの主語の問題といい、ここには匿名の魔力が働いているように思う。匿名性によってあたかも一般性が付与されたかのように感じられたのではないだろうか。
今回の件から教訓を得るとすれば、2ch型の匿名性が議論の正当性・中立性を担保するかどうかは非常に怪しい、ということだろう。2ch型の匿名性には利点もあれば欠点もある。そしてどちらが重視されるかは個々の判断に依存する。しかしまとめサイトで繰り返し現れるのは、意図を隠して賛同者を集めた首謀者が許せないという憤慨の念だ。そこには2ch利用者は自身と同質であり、性善説の立場をとるという予断があるように思える。匿名性の陰に隠れた意図的な扇動者の存在よりも、その無邪気なシンパシーの方が自分にはこわい。
もう一つ気になるのは、糾弾者は問題の経過を通じて感じた憤慨を首謀者にぶつけるだけでなく、このような事態を可能にした責任を2chの運営陣に問う気はないのかということだ。彼らが依拠しているかに見える掲示板利用者性善説には、言うまでもなく何の担保もない。よく言われる「嘘を嘘であると見抜ける人でないと掲示板の利用は難しい」というテーゼは、嘘を嘘であると見抜くことが非常に困難なシステムであるにもかかわらず、問題をリテラシーに帰してばっくれているように思えるのだが、「だまされた!」というある意味で素直な感性を持つ人々が、不快な事態を経験したにもかかわらず、なぜこういう無責任なテーゼを許容するのか非常に不思議に思う。おそらくこの疑問には、「2chは利用料を取っていない」とか「好意で使わせてもらってる状況」だから既存メディアとは異なるという答えが返ってくるのだろうと思う。そしてその答えは原則として正しい。しかし原則としてそれは正しいけれども、ここまで肥大してしまったメディアに原則論のみであたることが果たして有用なのだろうか。
などと書き連ねてきたものの、もともと同様の思いを抱く人にしか伝わらず、疑わない人々には理解されないのかもしれないが、なんというかもうちょっと気をつけたほうがいいよ、といいたい。だまされた!と言っている人たちが実際には何人いるかわからないが(大半は便乗している野次馬で、本当に憤慨している人は少ないのではという気もするのだが)、失礼な言い方だがスレッドで憤慨している匿名の人々のレスを見ていると、2chの無謬性を信奉している無貌の利用者に感じられてとても不気味だ。「這い寄る混沌」 「無貌の神」 とは無数の非コテハン2ちゃんねらーのことだったのかと思ってしまう。匿名性ではなくて、その無貌性ゆえに、2chで形成される世論らしきものには、なにか名状しがたき恐怖を覚えてしまうのである。あ、「名状しがたきもの」はまた別だったか。

*1:真面目に考える人よりノリと勢いの野次馬が多すぎるので