もったいない

ひろきあずまどとこむにて。
http://www.hirokiazuma.com/archives/000147.html
東先生が助手を募集しておられる。そこに見つけた「最初はボランティアになると思いますが」の一文。一般論として、こういうスタンスには少し危ないところがある。というのも学生バイトを“勉強になるから”といって無給ではたらかせて、それが恨みを呼ぶというケースを最近、あちこちの研究室でみかけるからだ。無給のままで、活動し続けるインセンティブを保つのは非常に難しい。たとえばそのお手伝いを通して論文を書くなど、明確な目標設定がなされていないと仕事が無責任になるか、仕事をする動機がわからなくなるかする例は多い。もちろん、東先生の立ち位置は独特なので、ふつうの研究者よりも喜んでボランタリーに参加する学生は多いだろう。だから東先生については、気にする必要などたぶんないと思われる。したがってこの記事は東先生を対象にするものではなく、そこから想起される最斤目にしたあるもったいなさについて述べるものである。
研究者業界というのはもともと徒弟制の雰囲気が色濃くあった。しかし最近、自分の見かける範囲では学生を無給で使うことはできるだけ避けられている。理由は簡単で、ギブアンドテイクが成立しにくくなったからだ。大学院重点化の結果、院生といっても研究で身を立てようとする学生ばかりではないし、そういう学生がいたとしても先生が押し込んでくれるポストというのがほぼなくなってしまったのである(非常勤や期限付きには少し残っているけれど)。
ここにある素晴らしいカリスマ先生がいるとしよう。この先生はこの種のことに非常に思慮が足りない人で、“勉強になるから”といっては学生にテープ起こしやら資料収集やらの雑用をさせている。で、それが多くの学生に非常に評判が悪く、心酔して自ら身を捧げた学生ですら数ヶ月後になると先生のいない隙を見計らって研究室に来る始末。割り切れて諦められる人間ならいいが、割り切れない人間は周囲に愚痴をこぼしまくるし、割り切れても諦められない人間は与えられる仕事に振り回されて自分のペースを見失っている。
そういう社会を見ると残念でたまらない。素晴らしい先生の元に素晴らしい学生が集まって、新たな知のフロンティアが拓かれるかと思いきや、学生は脱出の相談に忙しく、先生は変わらず強引に進んでいる。なんだこれは。もちろん学問は純粋なもので、本来人間関係やなんかと関係のないものだ。しかし、こういう研究室の雰囲気はあきらかに生産性を下げている。くつろいだ議論など行われるはずもない。ほんの少し、その先生に学生のことを慮る余裕があれば、こんなふうにならずにすむのに。大学または学生という特殊な存在についての思慮が足りないと言わざるを得ない。これが有給で序列のある研究者チームなら、ボスがなにをしようとテーマは進む。けれども大学はそういうところではないし、学生は部下ではない。あんな立派な先生なのになぜそれがわからないのか。彼らは先生と同じ思いを持っているわけでないし、そもそも先生の時代とはちがうんですよ、ということなのだが。素晴らしい研究成果というのはだから、高い生産性を維持できる環境をプロデュースできるかどうかの手腕にかかるのだと最近よく思う。学生を疲弊させている某先生には、立ち止まって考えてほしいものだ。