まだ読んでた「オタクvsサブカル!」

ユリイカ2005年8月増刊号 総特集=オタクvsサブカル! 1991→2005ポップカルチャー全史
ようやく終わった。
巻末のサブカル年表見てたら、自分が最大にサブを駆ってたのは1994年だとわかった。この年のことはほとんど知ってるし、大半になつかしさがある。それ以前はちまちま。それ以降についてはほどほど。特に94年以降については、ある程度サブを駆って満足したため、取捨選択出来るようになったとともに、ネット遊びするようになって時間感覚がむちゃくちゃになってるので感慨が薄いのだろう。ネット時間はマジでひどい。リアルイベントとネットイベントの同期が全く取れてない。
あと年表見てて思ったけど、だいたい今が旬の人は10年前くらいに始めた人が多いみたい。そうか、じゃあこのはてダも10年継続すればカルチャースターになれるのか、とか少し思ってしまった! あーでも生活かかってないからもっとかかるだろうな。20年くらいは必要かな。
収録記事中で面白かったのは前島賢。これにちゃんと誰かアンサーしないとほんとにだめだと思う。しないと思うけど。しないところがまた面白いんだけど。あと近藤正高。神々→紙々には膝を打った。吉田アミ乙木一史はセットで読むと面白い。サブカル好きの若者が、それ中心につきすすむのと、生活圏を踏み外さないのと。自分は乙木さん的サブカル受容だったので、吉田さんの生き様にはすげーなーと思うと共にこれは無理だなーとも思った。そこが素人と玄人を分けるラインだと思うのだがどうだろうか。昔と違って、機会や機械が発達してくれば来るほど、そのラインが厳しく思えてくる。
話がそんなに演劇にからまなかったのは意外だった。自分がサブを駆ってたころといえば、近鉄小劇場でなにか芝居を見て、そこでもらったチラシの山の中にある花形文化通信を読み、インタビューされていたモダチョキに興味を持ってCD買う、というのがサブカルフルコースだった(もちろん花形文化通信といえば野ばらちゃんだったし)。フリッパーズギターピチカートファイブを知ったのは友達のお姉さんからで、そのお姉さんは学生演劇をやっていた。なんかあのころはおしゃれな人は芝居を観るかやるかしていたような気がする。お姉さんの芝居も見に行ったけど、お姉さんの先輩に当たる卒業生は、独自カンパニーを旗揚げしていたので、それも見に行ったりした。そのころはまだ小さいところでやっていたけれど、気が付くと大ホールでやるようになり、気が付くと俳優がテレビに出ていて、気が付くと解散していて、気が付くと俳優がドラマの常連役者になっていて、気が付くと写真誌に熱愛報道が出るようになっていた。今でもその俳優さんを見ると懐かしい気持ちになる。
しかし一冊通して読めば読むほど、「オタクvsサブカル」なんて対立はある種のコンテキストの中でしか存在しなくて、リジッドなオタクやリジッドなサブカルなんていないんだーーーー、という主張がよくわかる。しかも個々の語りを通して。このにじみ出る構成はだから、オタクvsサブカルとか言ってる人間への痛烈な皮肉だ。全員が全員、“オタクやサブカルはともかく、「オタクvsサブカル」と言ってる人種ってどうよ?”と宣言しているに等しいのだから。いやーほんと、いい意味で根性悪くないととても作れない一冊だよ、と思った。出すユリイカユリイカだ。感動した。
このつぎには「オタクvsサブカルとネット」みたいな話が読みたい。先日「教科書に〜」を読んで以来、ネットってオタク物件なの?サブカル物件なの?という疑問が渦巻いているので。「オタクvsサブカル」はともすればメディア論になる。たとえば「オタクが見るアニメ、サブカルが見るアニメ」とか「オタクが読む漫画、サブカルが読む漫画」というようなフレーズは全然具体的じゃないのに何かをあらわしているかのように思えてしまう。でもこれが「ネット」になると途端にわからなくなる、という印象がある。この辺をちょっと掘ってみたいな、と思った。誰か掘って見せてください。他力本願。