のだめと801

emifuwaさんの話題。
http://d.hatena.ne.jp/emifuwa/20070420#p1
のだめがやおいかどうか。うーん。以下、気になったところ。

つくづく「のだめ」って801だなあ!と思いました。
あの、峰×千秋とかそういうことではなくて、のだめと千秋の関係が、私にとってものすごく「801」なんですよ。
どういう点が801かと言うと、千秋がのだめにひかれる一番大きな理由が、のだめの女性的な魅力ではなく、のだめの才能だという点です。

才能を認め合った同志に通じ合う好ましい感情というのは、昔からよくあるやつで、「敵ながらあっぱれ」とかそういうことだと思う。emifuwaさんがこのあとに引用している、ガラスの仮面の亜弓さんとマヤさんを思い浮かべるとわかりやすい。そんで、そういう認め合った者同士に通い合う好敵手ゆえの好ましい感情が、腐妄想の原動力というのは大変よくわかる。が、それって同性だからなんじゃね?とも思ってしまう。
異性だと、憎からず思う気持ちは、セックスで表現できるのではないかと思うんですよね(ややこしいので今のところヘテロの恋愛をマジョリティとするよ)。他人が究極的に他人とつながりあうのはセックスなんじゃないかなあと。だから二次創作やおい妄想って、現実社会(あるいは原作設定上)では決してつながりあえないヘテロセクシャリティの同性同士に、セックスを介して次元の違う交情チャネルを開くことで、原作ではふれる程度の通じ合う気持ちを正面に位置づけて、新たな相関関係を楽しんでいるのかなあと思っていたのですが。
「のだめが801」って言われると、そこがどうなんかなあと思うんだよねえ。のだめは千秋と肉体でつながることができるわけですが、原作だと、そういうこと(恋愛気分)でごまかされずに一個の人間として等しくつながりあえるかどうか、そういう関係を築けるのかのだめちゃん、みたいなあたりが最近の読みどころっぽい。このあたりの関係性がやおいっぽいっていうことなのかなあ。
タマシイの交流にぞくぞくする気持ちはとってもよくわかるんだけど、その関係性を同性間セックスで再編するのがやおいだと自分は思っていたので、タマシイの交流にぞくぞくする気持ちそのものにやおいをかぎとるemifuwaさんとはちょっと言葉の意味がちがうなあと思いました。