ハロー!バリキャリらいふ!

というわけで、前回のエントリをアップしたら「どっか遠くに行った」とゆうブクマコメントをいただいて、思わず吹き出したurouroさんです。まあそうだよなあ。ポイントは「試しに」というところだから、読者は引かないように。明日からここが百式みたいになることはありません。つか、無理。
まあ、ここのところいろいろ考えているわけです。仕事をするということが自分にとってどういうことかということなんだよ、つまり。目指すべき職業人像があるとしよう。今のurouroさんだとそれはバリキャリだ。そこを目指したときに、自分に何が欠けているかを考える。技術的欠落と人格的欠落の両方が、ふつうは見つかると思う。urouroさんは物事を考えたり文章で表現したりは上手なんだけど、エクセル使うのとか苦手で数字も弱い。これは技術的欠点なので、ちょっとずつ克服していくと会社員として生き辛さが減ってよろしい。
問題は人格的欠点なんだよね。自分には、いろいろと人格的欠点があってそこを改善(少なくとも表面的に糊塗)することができれば、職業人として楽になるなあと思うことは多い。
だけど、なんでたかだかサラリーもらうだけのことで人格的欠点を改善したりしなくちゃならんのだ、というところがどうもひっかかるんだよね。ここでは「お金をもらうということはそれくらい大変なことだよ」式の指摘はいったんないものとして考えてほしい。自分が自分であるという、現在の人格形成に至るまでの道には、いろいろなことがあったわけで。現在の自分は職業人である前に一個の個人なのに、家庭や趣味や友情といったパーソナルな事柄が自分に人格形成を強いてくるのはわかるが、職業もそういう存在なのか?それでいいのか?というあたりに強くいらだちと疑問を感じているわけです。職人みたいな署名入りの仕事をしている人はともかく、会社員としての自分の仕事は当然代替可能なわけで、代替可能な仕事をしているだけなのに、人間的にもっと成長しないと、みたいなことを言われるのがきわめて不快なわけです。
で、そういう不快さとつきあっていて、気がついた。「社長」とか「起業家」とかいうカテゴリの人は、みんな自己啓発本読んだり人格改造したりするじゃないですか。だからそっち側めざせば、仕事している最中に人格的欠点に気がついても改造しようというインセンティブが生まれるかなあと。仕事で自己実現して成長して儲けるという目標を置けば、人格的欠点の改善がいやでなくなって、それがいやでなくなると周囲とうまく付き合えるかなと思ったということですね。
と、書いててわかったけど、要はurouroさんの周囲がアッパーでベンチャーなんだな、つまり。そんなところに紛れ込んでるから大変なのか。あーやだやだ。でもまあ、仕事の内容と条件には気に入ってるから、バリキャリ目指してみてうまくはまれば儲けものなんじゃないでしょうか。儲かったら引退してマンガに埋もれて暮らそうっと。