えっと、

本屋と古本屋周遊。新刊でブギーポップのペパーミント購入。古本でSTの赤の調査ファイル購入。なんだかんだいいつつシリーズものは気になる。あとブギーポップはあれほど売れてるのに意外に古本市場に出回っていない。もう読んでしまったけど記録はまた後で。四季夏も読んだのであとで記録すること。あー、あとヤンマガ#13とアフタヌーンApr.も。読んだ本の記録をつける作業は面倒だが、時間をブラックホールに吸い込まれたのではないと証明するための作業である。ここに記録してるのは娯楽のための読書ばかりだが、勉強のための読書は別口で記録をとっている。ま、読書体験は財産であるからして。
ところで新井素子の文庫新刊エッセイが出ていた。自分は中高生の頃、かなりのエネルギーを新井素子に費やしたのでなにかと懐かしかったが、エッセイに描かれる生活は主婦で、妹さんに子供がいるし、父君は亡くなっておられるしと時間が経過している様が窺えてものすごく感慨深かった。通常、時の流れとは自分よりも人の変化で感じるものだが、こちらが一方的に思い入れていた作家氏ともなれば尋常ではない時の速さだ。ひでおと素子の愛の交換日記をなめるように読んでいた日々が懐かしい。

ひとの価値

気になった議論があったので記録しておく。経済的な価値判断というのは指標がわかりやすいことと、今の世の中(日本)が市場にかなりの部分依拠しているので汎用性が高い。純粋に経済学的に考えれば、人の価値は労働者としての価値、納税者としての価値、などである。したがって、働けない人は無価値だし、働き終わった人も無価値である。まだ働けない人には投資財としての価値があるが、現時点では不完全な価値しかない。というわけで子供年寄り障害者は世の中に役に立たないということになる。
ところが、こういう議論はふつうちょっと受け入れられない。原理的に言えばそうだと納得できたとしても、心情的に納得できないならそれは受け入れられないのと同じだ。ここ重要。原理的に正しいけど、それって感覚的に間違ってるよ!という気持ちをどういうロジックでつかみ取るか。そこに工夫を注ぐべきであって、原理的に正しいからといって論旨をねじ曲げて現在の価値観に添うような論拠・価値を引っ張り出してきてもあまり意味がないと思われる。

リンク元

自分のダイアリに対するリンク元をへろへろ見ていると、はてなダイアリ自体のページランクが高すぎるなと思う。検索ワードに対して何の情報も含有していないだろう記述にヒットしていると、申し訳ない限りだ。
それもまたweb周遊の楽しみともいえるが。