メタリアルフィクションby東浩紀

ファウスト東浩紀が「メタリアル・フィクションの誕生」という評論をしてるんですよ。で、今号では舞城王太郎の「九十九十九」をとりあげているわけ。言うまでもなく「九十九十九」はメタメタなので、この論考で俎上にあがるのは納得できる。東の言ってることもぱっとみ破綻してない(というのは深い意味ではなく単に自分が精読してないということだが)。しかし。流水ではふーんと思ったJDC世界をベースにしているのに、舞城を読んだ瞬間、頭のふたが飛ぶような衝撃を受けた、という自分の感覚の相違については東の論考ではあんまりぴんとこないなあと思う。思うに流水は世界観とかの設定はうまいんだけど、文章の凶悪さが足りないんだと言う気がするんだけど。しかしまあ、この感覚の違いについて納得のいく説明があればいいなと思っているので、今回の東の論考はちょっとちがっていて残念だった。念のため言うが、清涼院流水をおとしめたり軽んじたりするつもりは一切ない。自分は結構愛読しているし。しかし「九十九十九」は驚天動地のできだと思うので、なぜ流水ではふーん、だったのが舞城だと!!!になるのか、うまく解説して欲しい気がする。