第二章−「かまやつ女・六條女」という構図の不毛さ

上述の経緯に見られるように、これまで数度かまやつ女について語りながら、三浦氏がその対立概念として六條女を定義するのはサンデー毎日記事が初出である。これが何の原因によるものかはわからない。「六條華サイドによるキャンペーン」「“天敵”を配置することでオヤジマインドを慰撫」「対立構図を持ち込むことで読者にわかりやすくするフック」などさまざまな要因が考えられるが、慰撫やフックであるとすればムッシュかまやつに比べて遙かに著名度の低い六條華を表象として選ぶ必要はないように思われる。六條華自身が紙面にでているところもポイント。したがって、「六條女」というきわめて不明瞭なモチーフを持ち込むことで、この記事のイヤさのステージはあがっていると言えよう。三浦氏は自身のオリジナルである「かまやつ女」に、こんな不明瞭な対立概念を持ち込まれて二項対立に矮小化されることに忌避を感じないのだろうか。
追記:松谷氏の24日コメント欄における補足により訂正。「六條女」は三浦氏が言い出したとのこと。PSIKO4月号参照らしいがPSIKOがちょっと手に入りにくいので確認できません。すみません。そもそもweb上しか確認してないので、この種のつっこみは甘んじて受けます。失礼いたしました。
しかしそうだとしても、「六條女」がタイトルに進出しているのはサンデー毎日からである。二項対立の構図に裏打ちされたタイトルは、たとえ以前に定義づけられていてもスケールアップであると言えないだろうか。なぜこの段でスケールアップさせたのか、という疑問は残存するように思う。またムッシュに比べて知名度が低いため表象として釣り合わないのではないか、という不自然さは拭えない。以上から、「この記事のイヤさのステージはあがっている」というこの項の論旨は訂正せずにおく。