ライトノベル☆めった斬り!

ライトノベル☆めった斬り!
ウラBUBKAの記録のところにも書いたけれど、自分はデータやカタログの読み物は苦手でオレ史観全開の歴史話が好きなので、この本はやっぱり面白かったです。というかそういうオレ史観を年長者から拝聴するのが大好きという嗜好は、やっぱりちょっと偏向しているよなーと思いつつ読みました。こういう本が好きっていうのが、オタク傾向ということなのかもしれないけれど、自分はオタク自認はないので断言はしないでおきます。
しかし予想通りにライトノベル読んでないなーと思いました。世代的にはpart2で語られている時代が直撃で、ジャパネスクとかロードス島とかDとか確かに友達はめちゃめちゃ読んでいたけれど、自分は読んでないんですよね。自信を持って読んだと断言できるのはコバルト文庫新井素子くらいだなあ。コバルトは当時(今でもかもしれないけど)作家ごとに背表紙の色が違っていて、新井素子は白だったんですよ。で、新井素子の文庫はコンプしようと思っていたので、書店でコバルトの棚を見かけるとまず何よりも白背表紙を探す癖がつきました。未だに何とはなしに白を探してしまうという三つ子の魂。当時は予算も潤沢ではなかったし、取り寄せなんて知らなかったから一期一会の勝負でしたねえ。メジャー系の新刊文庫買うなんて、今にして思えば大した苦労じゃないんですが。そういえば近ごろBlack Catシリーズが終わったそうですが、コバルトでは自分はやっぱり「星へ行く船」シリーズですね。これは読んだ。めちゃくちゃ読んだ。新井素子は今でもわりと好きですが、「星へ行く船」を読んでいた頃は好きとかそういうのを越えたものすごいハマリエネルギーがありました。思春期の情動だったんですかねえ。中学生に知り合いがいれば無理矢理でも読ませて実験したい気もします。「星から来た船」が出た頃はもうその憑き物は落ちてたな。コバルトではその後は、友達が買ってた「XAZSA」とか「炎の蜃気楼」ですが、これはどっちも最後まで読んでない。進学したりなんだかんだで貸してくれた友人と離れたりすると、気になりつつも読まなくなりますね。シリーズものを読み通すのが苦手という個人属性によるところも大きいですが。
ちょっと脱線。ブックガイドでいくつか読もうかなと思ったのあったけれど、総じて長すぎ。いくらさくさく読めるライトノベルとはいえ、既刊15巻ただいま停滞中、みたいなの新たに読み始める気になりません。最近の漫画もですが長いシリーズものはとてもしんどいのですが。銀英伝くらいの長さが理想かなあ。満足感ともうちょっと…という余韻があってよいかと。もっとも銀英伝は完結してから読んだので、リアルタイムで読んでた方にはまた違う感想があるでしょうが。でもハイペリオンでも文庫8冊で終わるんだしさー、考慮していただきたいものです。
特異的に新井素子は読んでたのに、同世代メジャーどころを読んでいないのにはいくつか理由があります。あまのじゃくで文学気取りだったからマンガ絵の表紙を手に取るのが耐えられなかったとか、図書館依存だったので図書館にあんまり入ってなくて読めなかったからとか、田辺聖子の新源氏物語をちょうど読んでいたのでジャパネスクに手を出しそびれてそのままとかとか。しかし今回ラッタ斬り!を読んで新たに思い当たったのですが、自分の頃のライトノベルはファンタジー系の勢力が強かったんですね。これだ、これが原因だよ。と今さらながら。自分はAIに萌えるが竜に萎えるという趣味なので欧風ファンタジーはとにかく苦手で、それがあれして全然読む気にならなかったんだなあと思いました。当時だっていろいろなライトノベルがあったでしょうが、何しろロードス島とかのイメージが強かったので、興味なかったんだなあと納得しました。
そのころの自分は前にも書きましたが新井素子を入り口にSF方面へどんどん進んでいったので、かんべむさしとかヨコジュンとかを必死で読んでました。ウルフガイ新井素子効果で読んでました。自分だけかもしれませんが、新井素子がコバルトにいたことによるSF啓蒙効果っていうのは、なんかものすごいものがあったと思いますよ。いややっぱり自分だけかな。とにかくそういうわけで、新井さんの萌えにそのままシンクロしてたこともあって、同世代がロードス島やらラムネスやら言ってる時は70年代SF趣味にまみれてました。好きだったし。うーん遅れてきたSF世代だったのだね。だから本書の中ではpart1がむしろツボです。なつかしい。
また脱線。こういう世代の流行と自分の趣味が合わないという人々は一定数いると思います。どう克服するかというのは難しいところですが(だってもう故人の作者とかいるじゃん)、自分は永遠に参加できない前世代の宴を追体験して喜ぶタイプ。だからSFの人の昔話とか大好きで、回顧録とか追悼エッセイとか読みふけります。SFの人はまた昔話を公表しがちな人たちなので大変重宝です。実際の体験に比べればたぶん美化されてるんですよね。だからリアルタイムで体験した人よりも良い意味でも悪い意味でも凝縮されたエッセンスを味わっているんじゃないかと思います。でもまあ、ファンジンには入りたかったなー。なんかこう独りで楽しむ癖がつきすぎて、ファンジンとかミステリサークルとかに入ってないというのはちょっと残念なところです。でも今さらはいるもんじゃないしなー。大学入学時がラストチャンスだったんでしょうね。
既にネット上でもいろいろ言及があるように、本書は新しいところほど食い足りない感じです。歴史化が十分じゃないと言うか著者二人の中にまだこの時代が取り込まれていない感じですな。自分はラノベ読者ではないので事実の認識が正しいかどうかはよくわかりませんが、最後にラノベと一般小説のクロスオーバーとしてファウストをつっこんでくるあたりはちょっと納得がいかない気がします。あれはやっぱり小説現代(乱歩賞)−メフィストの系列で出てきたものだと思うので、相似ではあっても相同ではないんじゃないですかねえ。読まれ方としてはライトノベルなのかもしれませんが、ちょっと気になるのはキャラクター小説をラノベっぽいっていってしまうとわりとわやくちゃなことになるんじゃないかということで、だから森とか京極をラノベっぽいっていうのは、ちょっとどうかと思います。具体的に言えば近年の講談社ノベルスでも表紙が辰巳四郎のやつはライトノベルちゃうんちゃうかと。だからうゆーさんっとかうらがっさぁーんはちゃうでしょ。その辺とか流水をラノベっぽいとカウントするのはやめて、西尾とともに霧舎をカウントするといいんじゃないですかね。
あとセカイの秘密が明かされずに進んでいく最近のラノベについてのところで(208頁)、

三村 どうもいろいろわけありらしいのだけど、組織がどんなものなのかも、何が起きたのかも、
   ちっとも説明されない。あれはいいのかな?あんなにも説明されないのって。
大森 やってみたら、意外とみんなそれでよかった。
三村 みんなどっかでイライラしないのかなあ。年寄りは探求心があっていかんのかなあ。
大森 どうせ説明されたってつまんないじゃん。想像してるうちが華なんだよ。

いやーもう同意同意同意。ほんっとに意味深シリーズ(ブギーポップとか戯言とか)にはイライラしてますよ。ちゃっちゃと解明してくれよと。あとこの伏線ほんとに全部畳めるの?とか。なんでこれが許容されるのかと思ってたけど、そうかこっちが年寄りだったのかと反省しました。現代っ子の感覚って難しいね。一方で「説明されたってつまんない」には既視感が。CLAMPだよそれ! というわけでCLAMPセカイ系の箱にいれることにしました。戯言シリーズには愛着があるので、年寄りにも納得できる形でシステムが提示されると嬉しいです。
*追記
ブックガイド部分、引用文は書体を変えるなどした方がいいと思う。どこまで引用か分からなくてこんらんしました。